兼田の大きな道標と交通の近代化(津山市国分寺)
兼田の大きな道標と交通の近代化(明治末~)2014年6月29日取材
津山の最初の鉄製の橋、昭和5年にできた。旧出雲街道の川崎と河辺を結んで加茂川にかけられたこの橋は長さ90.5m、幅5.35m、現在は約70m下流に因美線の跨線橋を兼ねた国道53号線の新兼田橋ができている。
兼田の大きな道標と交通の近代化(明治末~)2014年6月29日取材
津山の最初の鉄製の橋、昭和5年にできた。旧出雲街道の川崎と河辺を結んで加茂川にかけられたこの橋は長さ90.5m、幅5.35m、現在は約70m下流に因美線の跨線橋を兼ねた国道53号線の新兼田橋ができている。
〔大聖寺の概略〕 山号を恵龍山と称し、今をさかのぼる1260余年前、天平10年(738年)、聖武天皇の勅命を受けた行基菩薩により開山、爾来、山岳仏教の聖地として五院(不動院、中院、奥の院など)十八坊舎(松の坊、池の坊、上の坊、地蔵坊など)の塔堂伽藍(とうどうがらん)を誇り真言密教(宗祖、空海)の根本道場として信仰をあつめ西の高野山と称されました。
しかし天正年間(1578年頃)の戦火で塔堂を消失、現在の本堂不動院、本坊客殿などは、津山城主、森忠政公(森蘭丸の弟)により慶長9年(1604年)に城主祈願所として再建されました。
また、当山は、歴代貫主(住職)が、京都蓮浄院(京都御室御所、塔中寺院)院主職をつとめ御所直轄寺院として高禄受祚の寺格を有しました。(文:別格本山 大聖寺案内より)(2014年6月24日取材)
龍頭山 善應寺 縁起
天台宗 本寺 滋賀県大津市 比叡山延暦寺。開基/貞観二痍辰年(860)慈覚大師円仁。本尊/聖観世音菩薩 行基作。脇侍/不道明王 毘沙門天。
当山は比叡山延暦寺第四祖慈覚大師が美作の国を御巡教の際、美作一の宮である中山神社にご参籠の折、東北の山頂に紫雲のたなびくのを見て、霊地のある事を知り、深山に分け入られると、にわかに甘露が降り、雲中より蟠龍が、頭を挙げて、大師の登山を歓び迎える様をしたので、山号を龍頭山と名付け大師護持の一寸八分の観音像を本尊の体内に納めて当寺の本尊とし、一字の草堂を建立されました。(善應寺2014.6.29取材)
2014年6月29日に行って来ました。善應寺といえば津山百景にも入っている傘もみじで有名ですが、アジサイも沢山植えられていて綺麗に咲いていました。秋になるともみじ祭りもありますので、是非、お出かけくださいね。
2014年7月26日(土)PM6:00~小田中にある長雲寺の駐車場で、小田中神田の納涼祭がありました。恒例の納涼祭には毎年楽しみに待っている町内の皆さんが大勢おいでになっていました。
かつて江戸城内にあった東照宮を飾った豪華な御簾
紅葉山東照宮 御簾
享保21年(1736)以前の作 竹・緞子・金工の組合せ
紅葉山東照宮の神前に掛けられていた御簾。簾の中でも高級なものは、特別に御簾と呼びます。細い竹ひごを編み、周囲が緞子(地が厚くて文様をあしらった光沢のある絹織物)でふちどられ、三葉葵紋の金具や織模様が多数あります。上部には紐の長い房が2か所に取り付けられ、その紐には鉤(簾を巻き上げた時に引っ掛けて止めておく金具)が付いています。最上部には、中央の日輪をはさんで左右に龍・麒麟・天馬・獅子の飾り金具が配置され、全体として非常に豪華な作りです。初代将軍であり「神君」とも呼ばれて徳川家の守り神とされた家康を祀る社殿を飾るのにふさわしい仕様とデザインで、かつての徳川将軍家の絶大な権威を思い起こさせます。
付属の由緒書によると、享保21年(1736)に浅草寺伝法院を経て美作一宮の中山神社神職美土路家が拝領し、同家に伝来したものです。(文:津山郷土博物館より)2014.7.31取材
県北に総合武道館をつくろう! 第18回 津山武道祭が平成26年7月13日(日)午前9時~12時、津山総合体育館にて津山市体育協会により執り行われました。当日は朝から雨が降る中での大会でしたが、大勢の子どもたちが元気よく演武を行いました。
箕作阮甫と東海道
1853(嘉永6)年、ロシアから開国交渉の使節としてプチャーチンが来航し、箕作阮甫はその対応御用を命じられました。長崎でロシア使節との外交交渉を終えた阮甫は、山陽道、東海道を経て江戸へ戻ります。その途中、小倉でペリーの再来を知らされ、また、広島の沼田では急ぎ戻ってくるよう指示を受け津山への墓参も中止して、先を急ぎました。
阮甫が足早に通り過ぎた東海道は江戸時代の主要街道で、多くの浮世絵師がその宿場を描いています。阮甫の日記「西征紀行」の記述とともに各宿場の様子をご覧ください。
天平年間に、行基菩薩が開創され、弘法大師も弘仁年間に巡錫されたと伝えられています。昔は五社明神の別当寺として、神社の近くにありましたが、天保5年現在地に移りました。
昭和28年、現在の本堂落成の際、高野山から、作東高野山摩尼院の称号を頂き、爾来檀信徒皆様の篤いご信心によって、山容が整いました。(文:高野山真言宗 美作八十八ヶ所霊場HPより)2014年6月24日取材
2014年7月1日(火)あじさい寺【長法寺】に行って来ました。
阿弥陀如来を本尊とし、脇侍に天台大師、伝教大師をおまつりしている。現在のお堂は弘化2年(1845年)西方にあったものを移し、阿弥陀堂兼客殿として再建す。
明治6年(1873年)津山城取り壊しの際贈られた。本丸御殿の鬼瓦、鯱(しゃち)、紫陽花(あじさい)の絵を描いた襖障子があります。2009年の紫陽花の様子はこちらから、名木百選 長法寺のイチョウ