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取材記事内を検索ワード「門」で検索した結果,754件の記事が見つかりました。

寂静山  教本寺

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岡山県津山市大谷にある【浄土真宗大谷派】寂静山 教本寺  (2012.6.15日取材)
開基は、楪備前守右近正廣入道で、天正2年9月。真言宗備永寺を建立す。後、教本寺と改号する。享保14年真宗に改宗する。
 教本寺の現住職、楪葉智章(ゆずりは ちしょう)さんは15代目だそうです。元々は高倉にあったお寺で約50数年前に大谷に来られたそうです。
ここのお寺の門は3つもあり、一つ目入り口の山門、二つ目が、地蔵院にあった松平家の門(松平家の門は文豪谷崎潤一郎が疎開していた地蔵院内の宕々庵を壊すときに買い受けた門だそうです。)で、もう一つは大変立派な龍が彫ってある門です。

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河面 清瀧寺天井の鳳凰図

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▲東寺真言宗 清瀧寺本堂  天井の鳳凰図(2012年5月31日取材)

 観音堂(本堂)の内部は華麗な装飾が施されています。天井は格子天井で、中央に算仙中村周介の描いた見事な鳳凰図が嵌め込まれています。

東寺真言宗 清瀧寺本堂(2009.4.12取材)

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清應山 高福寺の本堂格天井画は、狩野如林乗信 作

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天井画をもう一度拝見したいと、清應山 高福寺の本堂をお訊ねしてきました。
 津山市林田にある清應山 高福寺の本堂建設は、相当な経費をかけての大工事であった。大工棟梁は、播州赤穂南野中村から善左衛門清貞が呼び寄せられ、総ケヤキで高度な技術を駆使しており、当時としてはかなり優れた本堂に仕上げたのである。更に、本堂格天井画には極彩色で描かれた、天女や植物の画132枚がはめ込まれている。これは、本堂建設に先立って、津山藩絵師「狩野如林乗信」に依頼して描いたもので、工事が開始された安永3年の6月28日には既に完成している。(大師殿・客殿・庫裏落慶記念誌より抜粋)2012年5月20日取材

前回の取材はこちらをご覧ください。

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平賀元義の遺墨展が旅館「お多福」でありました。

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平賀元義(ひらがもとよし)(1800~1865)という人
幕末に万葉調の歌人として活躍した国学者で、正岡子規や斉藤茂吉等に影響を与えた人で個性的な書風を持つ歌人としても知られる。
 1800年(寛政12)に岡山藩士平尾長春の子として生まれ、岡山城下富田町で育った。
 1832年(天保3)脱藩し、平賀左衛門大郎源元義と名乗って、備前、備中、美作などを放浪し、多くの万葉調の歌を作った。奔放純情で奇行が多かった、と伝えられる。
 生涯不遇の人で、学才を認められた矢先、路傍で卒中のため急死した。


平賀元義という人は作州を中心に旅を重ねた人で、弟子にこよなく愛された人である。
◎エピソード
・仏教が大嫌いな人で、仏教信者と袖が触れただけでも禊(みそぎ)を繰り返したという。
・武士の魂を持ちつつ、弟子の家を渡り歩いていた歌人。
(門人の家では塩とチリシを使い放題使ったので門人の奥さんから嫌われていると悟ったら、また次の門人を探して宿にしたが、門人からこよなく愛された人。
・使い古した着物を着ていた。

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200年前の江戸の眺望と東京スカイツリー「江戸一目図屏風」

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200年前の江戸の眺望に、現代の東京が重なります。(2012.3.14)
江戸一目図は、隅田川のやや東寄りの上空から眺めた、江戸の眺望と考えられています。そして、いま、まさにその場所にスカイツリーが建設されました。もし、江戸時代にスカイツリーがあったなら、鍬形蕙斎(くわがたけいさい)には、この江戸一目図の眺望が、現実のものとして見えていた筈です。
 平成24年5月に開業するスカイツリーの展望台からは、江戸一目図の複製展示によって、江戸の眺望と現代の東京を見比べることができます。(資料提供:津山郷土博物館)
 津山藩松平家の御抱え絵師鍬形蕙斎が文化六年(1809)に描いた江戸の景観図「江戸一目図屏風」は、東京スカイツリーの2012年5月の開業に実物大の複製パネルが地上350メートルの展望台に設置されます。津山郷土博物館所蔵の紙本墨画淡彩江戸一目図屏風、岡山県指定重要文化財、3階展示室に展示

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曹洞宗 成興寺(じょうこうじ)

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曹洞宗 成興寺
 沿革
 そもそもの成興寺開基は、夢窓国師(京都天竜寺開山)と伝えられ、JR因美線美作河井駅から登る矢筈山上にありました。久しく廃絶していた寺を天文年中(1532~54)に、草苅加賀守衡継が矢筈山頂に居城を築く際、菩提寺として再興しました。(成興寺丸跡あり)
 天正12年(1584)草苅氏退城後、寺も廃址に帰しましたが、文禄3年(1594)に草苅氏の家臣で、小中原の土豪中西孫左衛門が、現在地に再興しました。元禄2年(1689)津山西寺町長安寺三世白善嶺雲和尚が曹洞宗に改めて開山となりました。現住職小倉玄照和尚は、第十三世。(2012年4月21日撮影)文:曹洞宗 成興寺(津山市加茂町小中原41)

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2010年5月2日の愛染寺のぼたんの花

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2012年5月2日の愛染寺の牡丹の花です。この日は雨が降っていたのですが、愛染寺の近くまで来ていたので牡丹の花は散ったのか気になって覗いてみました。まだ綺麗に咲いていたので写真に収めてきました。どうです!綺麗でしょ。牡丹桜は散っていました。(過去の取材)(過去のぼたんの花の取材
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清眼寺のぼたんの花が美しい。

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また、今回は2012年4月28日のボタンの花です。まだつぼみが沢山あったので長く楽しめそうでした。この他、愛染寺のぼたんが綺麗でした。(2010年取材)
  清眼寺は、美作88ヶ所第56番札所・美作国七福神毘沙門天霊場として、多くの参拝者で賑わいます。別名ぼたん寺ともいわれ、毎年のぼたん祭りには、色とりどりの美しい大輪の花を咲かせ、参拝者を楽しませています。

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瑠璃山日光院 眞福寺(美作国七福神)

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真福寺(2011.6.24取材) ▲写真2012.4.17取材
 瑠璃山日光院 眞福寺の略歴と沿革
 当山は、天平12年(740)聖武天皇の勅りにより、太古行基菩薩開創し御本尊薬師如来を奉安され、始めは槍原地内に在って萬福寺薬師院と称していたが、現在地へは寛永年間(1624)移築され眞福寺日光院と改めたがその後、付近の火災の飛火に遭って全焼し寛文8年(1668)檀信徒より木材並びに労務の奉仕等により建立されたものです。
 初代清誉上人より今日に至る迄、檀信徒聖霊香華燈明を掲げ、真言密教の寺として法燈を護り伝えて参りました。爾来、375年余の星霜を重ね近年に至っては特に老朽化し、平成5年に議題になり平成7年檀信徒の浄財等により改築を決定した。西暦2000年の節目に完成する。(情報提供:真福寺)美作88カ所霊場会のホームページ

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旧扇形機関車庫内に「津山街なみ展示室」が完成!

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 旧津山扇形機関車庫に津山街なみ展示室が完成し、4月7日から一般公開されました。津山街なみ展示室の中には、扇形機関車庫を実物の150分の1にしたジオラマが展示され、Nゲージの鉄道模型が6通りのプログラムで走行。車両も10車両が走っていて鉄道ファンや子供達にも楽しめそうです。これから半年毎にプログラムを入れ替えながらバージョンアップするそうです。(鉄道模型専門店トレビック模型さん提供)
「みまさかローカル鉄道観光実行委員会」とJR西日本は、土・日を中心に47日間、車庫を一般公開、展示室もこの時に見学できます。無料(要予約)※お問合せはJR西日本岡山支社の見学係(Tel.086-225-1179)

「旧津山扇形機関車庫と懐かしの鉄道展示室」について詳しくはこちら(2012年スケジュール)

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