荒神社(近長)
荒神社(旧無格社)津山市近長298
主祭神:素戔嗚尊、例祭:10月22日、主要建物:本殿・拝殿、
由緒沿革:本神社の創建は弘仁12年と云うが不詳である。
下は代官屋敷跡、上は八坂神社がある。(文:『岡山県神社誌』より)(2021年9月9日撮影)
荒神社(旧無格社)津山市近長298
主祭神:素戔嗚尊、例祭:10月22日、主要建物:本殿・拝殿、
由緒沿革:本神社の創建は弘仁12年と云うが不詳である。
下は代官屋敷跡、上は八坂神社がある。(文:『岡山県神社誌』より)(2021年9月9日撮影)
男女山公園は、岡山県の北中部の鳥取県と隣接する鏡野町にある標高約205メートルの「女山」につくられた、地球おいたちの広場と題した看板のとおり、地球誕生からの歴史をテーマに平成3年に完成した公園だそうです。
今まで何度かおじゃました公園ですが、今回は、男山・女山の取材を兼ねて散歩してきました。吹く風が心地よい日に散歩が出来、女山の頂上から見渡す景色も美しく、サクラの花の咲くころはさぞかし綺麗だろうなと思いました。程よい坂もあり、年輩者でもゆっくりと散歩が出来ます。
また、「太陽の広場」、「クレータの広場」、「未来の丘」、「緑の広場」、「恐竜の広場」があり、恐竜の広場ではプロントザウルス・ティラノザウルスが出迎えてくれます。一番人気は、恐竜の卵から出発する約80mの長さのローラー滑り台だそうです。小さな子ども連れのファミリー層にも人気のスポットです。
作州忍者鶴山隊員ご支援くださっている皆様
作州忍者鶴山隊令和3年度総会を(創設3年目)中央公民館(大谷)にて6月30日隊員37名とオブザーバー、来賓、マスコミ担当者等42有余名の出席を得て開催させて頂きました。
(現在登録隊員100名余りです。年/隊費納入者のみのカウントです。)
開会は小西隊員の司会で始まり、来賓あいさつとして津山市観光協会 松岡裕司会長から励のお言葉を頂き、その後、議事に移り畑議長選出し各部門(会計報告・予算・事業報告と計画規約改正)と順調に審議可決され新たな役員体制が発表されました。そして、本年度の事業計画実現の隊員の皆さんには今迄以上のご協力ご尽力を賜りますことをお願いしました。
※今期の最重要計画は忍者のふるさと甲賀を訪問し我が町、我が城を築いてくれた甲賀忍者伴一族のルーツを辿るため甲賀研修が最も重要な計画です。
セレモニーとして総会では本日3名の新入隊員には入隊証が手渡しされ、最後に、藤木副長からの九字護身法は起立し力の込めた誓いが唱えられました。
そして、当日のお祝い印の「紅白饅頭」が記念品としてお渡しされ総会終了とさせて頂きました。 感謝 令和3年7月吉日 作州忍者鶴山隊 隊長 克丸
令和3年3月13日(土)に初回の市開きを行いました。開場前のセレモニーでは谷口市長はじめ地元ゆかりの市会議員さんも参加して頂いてテープカットを行いました。
地元の方中心にたくさんの方が来場し、アグリ堀坂の野菜をはじめ、地元農家の野菜はあっという間に売り切れる盛況でした。野菜市の他、地元の商店の出店もあり、お惣菜を昼食用に買い求める人やコーヒースタンドで淹れたてのコーヒーを待つ人、ホットドッグの焼ける匂いが漂うテントの前で並ぶ人など、賑やかな光景にコロナ禍で行事がことごとく中止となった町に、活気が戻るのが感じられる一時でした。
社説 旧郷社 日吉神社
本社創立の年代は不詳、社伝並びに古老の口碑によれば天平9年11月、従五位下美作守阿部帯磨より受継ぎをなせる、美作守大伴兄磨が、近江國阪本鎮座の日吉神社より天平10年4月、分霊を奉祀し、翌11年3月7日、御遷座勅許を得て荒田七反歩を寄せ、植月郷総鎮守となしたりとも、或は、内田菅磨、が近江國日吉神社を、旧社地植月中河内山王谷に奉祀し、永正9年、宮山城主植月彦次郎この地に遷し奉ると云う。
平成6年3月本殿・幣殿・拝殿共に著しく老朽せしを、平成の御大典記念として改築なせるものなり
祭神 大山咋命・大巳貴命・豊受大神・味須岐高彦根命・少彦名命・猿田彦命
境内社 稲荷神社・厳島神社(文:現地案内板より)(2020年9月10日撮影)
有終館は備中松山藩が藩士の子弟に文武を教えるためにつくった藩校です。
板倉勝澄(いたくらかつずみ)が藩主になって延享3(1746)年に本丁(御殿坂)に学問所をつくったのがはじまりです。
寛政10(1791)年ごろ有終館と命名され、藩校として確立されました。天保2(1831)年の火災により現在地(中之町)に移り、山田方谷が学頭(校長)になってから充実しました。嘉永2(1849)年、藩主となった板倉勝静(いたくらかつきよ)は藩士全員に有終館での学習を義務づけ、最盛期を迎えました。
山田方谷が植えたとされるクロマツが当時のおもかげを残しています。(文:現地案内板より)(2021年2月6日撮影)
新見市指定史跡 方谷園 指定:昭和51年4月21日
偉大な学者・政治家として、備中松山藩に仕え、藩主が幕閣の老中に登用されると江戸に随行し、徳川幕府の終末期の諸政の難事に当たり事実上の施策を誤らなかった山田方谷(1805~1877)が、明治3年かつての水谷新右衛門尉勝能の小阪部陣屋に私塾(小阪部塾)を開いた場所です。
園内にある「方谷山田先生遺蹟碑」は、勝安房(勝海舟)による題字、三島中洲の撰文、筆は金井之恭によるもので、石碑を彫ったのは倉敷の藤田市太郎です。石碑は明治42年小阪部塾で方谷が息をひきとった時、枕のあった地点に建てられたもので、大正12年、方谷園として開園式が行われました。(犬養毅氏が開園式に来園し揮毫した。)新見市教育委員会(文:現地看板より転載)(2021年2月6日撮影)
岡山県指定史跡 備中松山城御根小屋跡
御根小屋は備中松山藩の藩主の居城であり、藩の政務を行う役所である。
当藩では城が標高430mにあるため、平時の政庁として御城山の麓に造られたものである。北は臥牛山に接し、南は小高下谷川を堀に見立て、西は現JR伯備線で限られたほぼ三角形の地形で、その面積は約34,000㎡。旧制高梁中学校(現在の県立高梁高校)は、その跡地に建てられており、石垣は御根小屋の原型を今に伝えている。
創建年代は不明であるが、天正3年(1575)の兵乱で焼失した記録があることから、その歴史は、戦国時代まで遡ることができる。現在の姿は、江戸時代初期に代官の小堀遠州が再建をはかり、天和3年(1683)当時の藩主水谷勝宗により完成された。
幕末の資料では、登城には惣門を経て御殿坂を登り、中門を通って御殿に至る。中門の北側に作事処(現テニスコート)がある。高梁川で運ばれた米などは川端町で陸揚げされ、御蔵坂を通って米蔵に、武具は一段高い石垣上にある武具蔵(現運動場)に保管されていたことかが記載されている。
備中松山城御根小屋跡は、平成3年4月に岡山県の史跡に指定された。
知人が登った2021年2月の毛無山の雪景色がとても奇麗だったので、写真をお借りしました。
9合目の休憩舎を過ぎ、山頂近くになると一気に展望が開ける。山頂からの眺めは抜群。北に弓ヶ浜かあ大山がそびえ、烏ケ山から蒜山三座が望める。さらに尾根を行けば白馬山から朝鍋鷲ケ山、三平山に続く。(文:真庭市のパンフレットより)(写真:末菅邦佐さん)
2020年12月19日(土)ソシオ一番街で「七福神もちつき縁起年の瀬市」をはじめ、盛りだくさんのイベントが開催され、久しぶりに多くの方が来られて賑わっていました。
午前11時から美作国七福神霊場会の僧侶による法楽、餅つき、銭太鼓の演奏、午後1時からは太極拳、大道芸、太鼓のステージなども。その他「手作りマルシェ」や津山ホルモンうどんも出展して会場は大盛り上がりでした。