有終館跡(The ruins of Yushukan)(高梁市)
有終館は備中松山藩が藩士の子弟に文武を教えるためにつくった藩校です。
板倉勝澄(いたくらかつずみ)が藩主になって延享3(1746)年に本丁(御殿坂)に学問所をつくったのがはじまりです。
寛政10(1791)年ごろ有終館と命名され、藩校として確立されました。天保2(1831)年の火災により現在地(中之町)に移り、山田方谷が学頭(校長)になってから充実しました。嘉永2(1849)年、藩主となった板倉勝静(いたくらかつきよ)は藩士全員に有終館での学習を義務づけ、最盛期を迎えました。
山田方谷が植えたとされるクロマツが当時のおもかげを残しています。(文:現地案内板より)(2021年2月6日撮影)
山田方谷が植えたとされるクロマツが当時のおもかげを残しています。
有終館跡です。
有終館跡地前には川が流れています。
大きく育ったクロマツです。
有終館跡すぐ前の道路です。
有終館跡前の通りです。(2021年2月6日撮影)