2015年8月8日の久米郡美咲町大垪和西(おおはがにし)の棚田です。
大垪和西の棚田は日本の棚田百選に選ばれた面積42.2ha850枚の棚田です。何度か拝見しておりますが、秋には一面が黄金色になってとても綺麗な棚田です。
『棚田の保全を図るため、ボランティアによる棚田保全支援隊を結成し、支援隊と関係者が協働して持続的な生産活動と景観の維持にあたっています。また、田植えや収穫祭などの交流活動も行われています。』(文:美咲の棚田パンフレットより)
協創LLPの中の1つのプロジェクト「NPO法人 英田上山棚田団」は、美作市への移住を決意された西口和雄さんが中心となって活動していらっしゃる団体です。西口さん達は岡山県美作市上山地区の耕作放棄地の棚田の再生をはじめ棚田・森林再生をベースにエネルギーに依存しないオフグリッド集楽を創造するべく活動を展開中です。「津山瓦版」として初参加したのは、野焼きでした。その後、何度か取材させていただいたのが、2012年2月の野焼き・高野誠鮮氏の講演・2012年上山神社で盆踊り・"たかくら塾"~地域づくり実践講座~・2013年上山神社の夏祭り・2014年上山神社・2014年上山神社の夏祭り・です。ここまで来るのには大きなご苦労もあったと思いますが、それでも未来に向けて走り続けていらっしゃる「NPO法人 英田上山棚田団」のこれからが楽しみです。(2015年8月8日取材)
2015年8月15日(土)午後5時30分~9時に津山市立西小学校校庭で津山西スポーツ少年団主催の盆踊り大会(仏送り)があり行って来ました。この日は鶴丸桜太鼓による演奏やHIP-HOPダンス、やきそば・たこ焼き・炭焼きを買った人には、豪華賞品の当たる抽選会、保護者の方が出されている夜店も出てとても賑やかでした。
当初、森家の重臣赤座主殿の屋敷神として城内にあったが、明治5年(1872)2月に、城内から京町に移され、現在は町内神として杷られている。
河川や海上安全を祈念する金毘羅神社は、吉井川の高瀬舟運行関係に従事した人々の信仰を集め、特に「金」の文字が付くことから商売繁盛の神としても信仰されている。
2015年4月14日取材
2015年8月12日のサマーフェスティバルin塩手の花火の様子です。(画像提供:山下幹芳さん)
雨の中で撮影されたそうで、傘指したり、カバーかけたりで、大変だったようですが、とても綺麗に写っていますね。
長福寺の文化財 (2015年7月4日取材)
当寺は奈良時代の天平宝字元年(757年)女帝孝謙天皇の勅願により、唐の鑑真和尚が真木山頂に開基し、弘安8年(1285年) になり天台宗の円源上人が中興した。明徳年間(1390年頃)に真言宗の寺となり、山上に65坊が建ち並び隆盛をきわめていたが、享保16年(1731年)寺領を30石に減らされたため、僧坊を22ヵ寺に合併した。その後明治維新で4ヵ寺となり明治9年奥の院の長福寺ただ1ヵ寺となった。大正14年焼失 し昭和3年現在地に移転した。(文:長福寺案内板より)
津山警察署前約半丁許の處より、東方鶴山城址櫻の馬場に直通坂路、長百四拾三間五分・巾三間の改修道路は大正15年5月23日津山城址に行啓あらさらるる 東宮殿下奉迎のため津山町が熱誠を捧げ工費約五千圓を投じ(同年4月10日起工・同4月30日竣工)修築したるものにして、行啓の當日、生徒児童並びに一般拝観者は該道の両側及び其の付近に於いて謹んで拝観の光栄に浴することを得たり。故に人呼んでこれを行啓道路云ふ實に宜なりといふべし。因に道路改修以前は、奮城の周濠を田地となせし水田にて奮郡役所の北方は一段高き土堤の上に数軒駢列せる住宅ありしを撤去せしめ其の地を掘り下げ、以って水田を埋め田町より直線の新道を開設せしものなり。
2015年8月1日(土)・2日(日)と多彩な催しもので両日とも賑わい無事に終わりました。
「津山納涼ごんごまつり IN 吉井川」2日目の大花火大会!今年は晴れて暑い日になりましたが、それでも夕刻には涼しくなり、河川敷では大勢の見物客が押し寄せていましたよ!
花火は約5,000発の華麗な打上げ花火でお祭りのフィナーレを飾りました。
役員の皆様ごんご祭り2日間お疲れ様でした。(↑の写真をクリックすると動画がみえるよ)