堀坂大日寺(加茂郷88ヶ所霊場第56番札所)
堀坂大日寺(加茂郷88ヶ所霊場第56番札所)は、津山市堀坂地内のJR因美線滝尾駅北400mの踏切脇を数十m入った薮の中にあり、本尊は大日如来です。木造トタン葺き、土壁。(先達は木元林造さん)(2023年3月28日撮影)
堀坂大日寺(加茂郷88ヶ所霊場第56番札所)は、津山市堀坂地内のJR因美線滝尾駅北400mの踏切脇を数十m入った薮の中にあり、本尊は大日如来です。木造トタン葺き、土壁。(先達は木元林造さん)(2023年3月28日撮影)
再企画第1弾第3区 つながる出雲街道(久世~勝山宿1)からの続きです。
「夢街道・ルネサンス」認定 真庭の歴史遺産の古道
現在の兵庫県にあたる播磨国の姫路から、島根県にあたる出雲国の松江までを結ぶ約215キロの古道「出雲街道」を歩くイベントが、2024年10月29日(日)に開かれ、県内外から約50人が参加。今回主催の出雲街道勝山宿の会メンバーの皆様に、久世から勝山まで案内して頂きました。
「街道歩こう会」の活動履歴
平成24~28年:「出雲街道(1)を歩こう会」7区画(延57.0km)
(津山市~真庭市~新庄村~鳥取県・日野町)
平成26~令和元年:「大山みちを歩こう会」6区画(延55.5km)
(真庭市・上山~真庭市・延助)
令和2年:国土交通省より認定された「夢街道ルネサンス」の「「つながる」をキーワードに、同2年より市外に活動の場を求める。
令和2~4年:つながる「出雲街道(Ⅱ)を歩こう会」6区画(延45.1km)
(美作市・勝央町・津山市)
各会団体の協力を得、県内の「出雲街道」及び市内の「大山みち」は統べて踏破(延19回)することが出来ました。(文:資料より転載)
阿波の竹之下地蔵堂(加茂郷88ヶ所霊場第25番札所)近くに建立されている大日如来です。
大日如来は、智慧と慈悲の徳により、一切衆生の迷闇を照破する仏であり、大日如来の信仰は村内に広く普及しており、だいたい1メートル前後から1.5メートルまでで、地区内の安全と、農家にとって一番大切な牛の安全と供養塔として村内に十数基建立されている。(文:『阿波村誌』より)(2020年8月1日撮影)
2022年10月23日「出雲街道を歩こう会」に参加してきました。
今回の「つながる出雲街道(Ⅱ)」を歩こう会は、特別企画 第6弾(最終回)として、福力神社附近より津山(津山市役所)までを、東から西へと主催者の「勝間田宿の会」と共催で、「城東まちづくりの会」と「勝山宿の会」で歩きます。
「勝山宿の会」では平成24年より、真庭市内の「出雲街道(7回)・大山みちを歩こう会(6回)」を踏破して、国交省より「夢街道ルネサンス」に認定され「つながる出雲街道」と命名され、東部(美作市・勝央町・津山市)に活動の場を求めて、歩こう会を開催し、記念すべき第6弾の最終回を迎える事が出来ました。
特別企画(第6弾)出雲街道(Ⅱ)を歩こう会(第4区)
福力(福力荒神社附近)~津山(市役所)間7.5km(実質8.0km)
主催:出雲街道 勝間田宿の会、共催:城東まちづくり協議会(津山市)、共催:出雲街道勝山宿の会
協力:津山観光ボランティアガイドの会、助成:(一社)中国建設弘済会
特別企画(第5弾)出雲街道(Ⅱ)を歩こう会(第5区)
久米(ふれあい学習館)~津山(市役所)間7.0km(実質8.0km)
令和4年(2022)5月15日(日)実施
今回の「つながる出雲街道(Ⅱ)」を歩こう会は、特別企画 第5弾として久米(ふれあい学習館)より津山(津山市役所)までを、逆に西から東へと主催「勝間田宿の会」と共催で、「城西まちづくりの会」と「勝山宿の会」で歩きます。
「勝山宿の会」では平成24年より、真庭市内の「出雲街道(7回)・大山みちを歩こう会(6回)」を踏破して、国交省より「夢街道ルネッサンス」に認定され「つながる出雲街道」と命名され、東部(美作市・勝央町・津山市)に活動の場を求めて、歩こう会を開催し、次回10月23日は第6弾(最終回)となります。
2021年10月24日(日)特別企画第3弾 つながる「出雲街道(Ⅱ)を歩こう会「ふるさと再発見 美作国歴史遺産の古道」(区間 美作市・江見~勝央町・ノースヴィレッジ9.3Km)【1】
はじめに
出雲街道とは、播磨の国、姫路に端を発し、出雲の国、松江に至る約215Kmの古道を言う。また、一説によれば松江の先、出雲大社とも言われている。
大和朝廷が、武力で全国を平定としたのに対し、出雲は神話に登場するが如く、平和裡に国譲りが行われ、朝廷より優遇され、鉄の産出も始まり、街道は繁栄してきました。
街道は人、物、文化を運ぶ役目を果たし、その重要性は五街道(東海・中仙・甲州・日光・奥洲)に匹敵し、同等の街道として発展してきました。
その後の街道は時代と共に、道筋は変遷、消失を繰り返していますが、現存している道で2コース有る場合は、合理性が高いか、最も古い道を採用しています。
今回の「つながる出雲街道(Ⅱ)」を歩こう会は、特別企画 3弾として、美作市江見より勝央町・ノースヴィレッジまでの街道を歩きました。
主催:出雲街道 勝間田宿の会、共催:出雲街道 土居宿を更生にのこす会・出雲街道 勝山宿の会
第四番 清瀧山 善性院 榮徳寺
当山は、天平年間の八世紀半ば、行基菩薩による開山です。
行基は、元境内近くにある清流に心を引かれ、瀧の側に草庵を結びました。行基草庵の仏堂と弘法大師創建と合わせて、清瀧山榮徳寺と号されました。その後、火災により二回境内を変更しました。
また、境内に隣接する清瀧に沿って険しい七曲りを登ると奥の院観音堂がありました。十一面観音菩薩は行基の作と伝えられていますが、昭和五十八年に、その観音堂も現本堂山側に移転されました。(文:『高野山真言宗美作霊場めぐり』より)(2021年9月19日撮影)
鳥羽山萬福寺 天台宗 植月北鳥羽野
境内に観音堂(慶長3年観音寺住職円慶中輿)、大日堂(宇堂の上)、地蔵堂、阿弥陀堂、弁財天祠、薬師堂があった。明治22年11月出火し、今は寺は無く観音堂、大日堂その他が再建されている。
萬福寺縁起古文に、往古役行者小角が回国途中霊験によりこの地に弁財天を鎮座せしとされ、また観世音菩薩の由来は、京都鳥羽に置いて行基が菩薩六尊を新造中に、美作のこの地に飛行し立座した霊夢を、聖武帝と行基が同時に御告があった・・神亀3年(726)創建したと記録され、また再度の火災により大破のみぎり、京都鳥家の長者霊夢を見て、この地に下り再興した。森候の祈願所でもあり、馬継所の桜の馬場の伝承もある。
観音堂・・・美作三十三観音霊場六番札所、本尊は聖観音立像(148㌢)行基作、足裏に義経と記され、源義経の守り本尊として伝承される。
萬福寺は元亀元年(1570)慈眼大師により再興されたが、寛文の頃に無住となり観音堂の兼務となった、大日堂の見正院に坊籍を許可でず、宇堂は荒廃し、火災でついに廃寺となる。(文:『勝央町誌』より転載)(2021年3月15日・2020年9月10日・2012年9月3日撮影)
・道しるべ 西側の小さい石碑 出雲街道の表示
・材木供養塔 中央の碑
・一畑薬師 東側の碑
「昔、目の病が流行り、早く治るようにと願い、人畑薬師様に参拝した。
今後この様な病気が流行らないようお願いをし、また薬師如来を勧請(神仏の分霊を請じ迎えて祀ること)し、碑を建てた。地区では毎年7月に地域の人が集まって、円光寺さんに拝んでもらい、いつのころか始まったかは不明。
2020年11月8日、「出雲街道 勝山宿の会」主催で、つながる「出雲街道」を歩こう会の特別企画第二弾(大井西の会と共催)で、津山市中北上~宮尾間を歩いてきました。実際に歩いてみないと細かなところまでは分かりませんが、資料を片手に歩いたところを紹介してみます。
このページでは、坪井下の馬頭観音のイボ神様・念仏供養塔・六体地蔵様です。すぐ近くには餝摩津(しきまず)斉七塚・鶴亀神社(鶴坂)・鶴坂神社等があります。