青々とした尾所のさくら
2016年7月18日の尾所(おそ)のさくらです。(2013年4月の満開の様子)
西暦1450年 年号宝徳2年の頃、山伏が倉見越えの途中ここで休み、持っていた杖を残したまま出立ちした その杖が根づいて今の桜の木になったものと伝えられているこの桜の木は、当村大田進氏より阿波村へ寄贈されたものだそうです。
2016年7月18日の尾所(おそ)のさくらです。(2013年4月の満開の様子)
西暦1450年 年号宝徳2年の頃、山伏が倉見越えの途中ここで休み、持っていた杖を残したまま出立ちした その杖が根づいて今の桜の木になったものと伝えられているこの桜の木は、当村大田進氏より阿波村へ寄贈されたものだそうです。
2016年7月18日(海の日)に阿波の渓流茶屋にて滝まつりが開催され行って来ました。
手打ち深山そばは、予約があったそうで早々と売り切れており食することはできませんでしたが、ヤマメの塩焼き、焼きそば、きねつきよもぎ餅、笹餅、おからケーキなどが美味しそうに並んでいましたよ。
この阿波森林公園は、氷ノ山後山那岐山系国定公園の一角に位置し、豊かな自然環境の中に整備されています。都会の喧騒から離れ、美しい自然の中でゆっくりとした時間が過ごせます。(2014年5月18日取材の様子)
2016年7月2日の阿波の高福寺です。津山市内より少し離れた所というより奥に阿波の高福寺があります。ここは気温も市内より少し低く、アジサイもすこし遅めに咲き出します。この日はあいにくの梅雨空ですっきりとしていない空でしたが、緑一色の中にアジサイの花が映えていました。(2009年の取材)・(2015年のアジサイ)
黒岩高原の水を集めて落下するこの滝を布滝(のんだき)といいます。この滝は岩の黒さと滝の白さがあざやかなコントラストをなし、遠くから見るとちょうど布を晒(さら)したように見えるところから布滝と名づけられたと云われています。昔は滝の下に大きな滝壷があり、2mに及ぶオオサンショウウオがすんでいたそうです。2016年7月2日(2009年の取材)(2015年の紅葉)
2016年6月18日撮影
鳥取県との県境に位置し、面積334ヘクタール、標高840~1,100mの中国山地にある森林公園。
数百種類といわれる花々の宝庫。春のミズバショウ、ザゼンソウに始まり、秋の広葉樹やカラマツの紅葉まで、いつ訪れても多くの花々や樹木を楽しむことができます。
森林の大部分はブナ、ミズナラ、マルパマンサク、ツノハシバミなどの落葉広葉樹と群生したネマガリダケが主体ですが、一部に県内でも珍しいカラマツ林がはる ほか、スギ天然林、スギ、ヒノキの人工林もあります。山麓の一部にはマユミの大木が秋に見事な赤い実をつけるなど四季を通じて変化するすばらしい自然と眺 望が魅力です。(文:岡山旅ネットより抜粋)(前回の取材の様子)
2016年6月26日の雨上がりの日ですが、奈義方面にドライブがてら蛇淵の滝まで行こうということになり、行って見ました。涼しくてマイナスイオンたっぷりのこの滝の結構な水量を見て、これも滝の内と撮影して帰り、後日、町議の岡立さんにお聞きしたら、これは砂防ダムと言うことでした。これはこれでひと時の涼かもしれませんが、とても結構な滝だったと思いました。
長法寺(ちょうほうじ)初夏の風情「紫陽花」
明治6年津山城が取壊しになった時、城からアジサイの絵を描いた腰高障子を贈られたのを記念して境内に植え、現在は30種、約3000株が群生し、初夏の風情を求めて訪れる人の目を楽しませています。阿弥陀堂(説教堂)は、阿弥陀如来を本尊とし、脇侍に天台大師、伝教大師をおまつりしている。現在のお堂は弘化2年(1845年)西方にあったものを移し、阿弥陀堂兼客殿として再建す。
明治6年(1873年)津山城取り壊しの際贈られた。本丸御殿の鬼瓦、鯱(しゃち)、紫陽花(あじさい)の絵を描いた襖障子がある。(2009年6月4日)(2010年の様子)(2015年の様子)(2016年6月9日、6月13日撮影)
2016年6月6日お見舞いに行った帰りに、おじいちゃん・おばあちゃんが大切に守り続ける棚田の花しょうぶ園(兵庫県佐用町の西新宿集落)へ寄って来ました。作用の街から35分くらいの山間です。チラシには(大切に育てて20年目オープン。約1万㎡の園内は昔のままの田んぼ、山、川。そこに170種50万本の花しょうぶが咲き始めました。200本を超えるササユリや山野草、アジサイなども楽しめます。雨天や車イスに配慮した遊歩道、休憩所の整備も進めています。展望ウッドデッキと三重連の水車を新設。ペットの同伴も大丈夫です。)と案内があります。6月下旬まで、9:00~17:00
長福寺の文化財 (2015年7月4日取材)
当寺は奈良時代の天平宝字元年(757年)女帝孝謙天皇の勅願により、唐の鑑真和尚が真木山頂に開基し、弘安8年(1285年) になり天台宗の円源上人が中興した。明徳年間(1390年頃)に真言宗の寺となり、山上に65坊が建ち並び隆盛をきわめていたが、享保16年(1731年)寺領を30石に減らされたため、僧坊を22ヵ寺に合併した。その後明治維新で4ヵ寺となり明治9年奥の院の長福寺ただ1ヵ寺となった。大正14年焼失 し昭和3年現在地に移転した。(文:長福寺案内板より)
毎年夏になると涼しい所を求めてさまよいますが、やはり滝やら水辺がいいですよね。どうせならと、イベントのある時が一番と、トヤの夫婦滝まつりに合わせて、黒木ダムへやって参りました。この日は朝から温度計もうなぎ上りでしたが、水辺では家族連れが多く、子どもたちの賑やかな声が山々に響き渡っておりました。