三日月藩乃井野陣屋表門(佐用町)

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 三日月藩は元禄10年(1697)、津山藩森家の改易に伴い、初代森長俊が佐用・揖保・宍粟郡の内15,000石の領地を拝領し、乃井野に陣屋を構えたことに始まり、明治4年(1871)の廃藩置県まで、9代175年間続きました。
 乃井野には郭内と呼ばれる家臣たちの居住地が広がり、城郭でいう本丸、二の丸、三の丸に相当する多重の構造を持っています。そして、今もその町割が良く残っています。複数の門の内、表門は、お城の大手門にあたる重要な門で、初期には、惣門と呼ばれました。約70年後(1773)に再建されたのが現在の表門で、脇には番所があり、通行者は厳しく監視されました。
 明治9年(1876)、陣屋の土地建物群は払下げられ、(「縣廳乙號布達綴」)、表門は西法寺(現・たつの市新宮町鍛冶屋)に移築されたようです。これを、平成28年に町へ寄附を受け、平成29年度に現位置近くに移築復元を行いました。
 2度の移築を経て故地へ戻ってきたこの門は、物見櫓とともに2棟しかない三日月藩の現存建築物です。(文:現地説明版より転載)(2023年5月18日撮影)

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陣屋表門(正面)

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鶴が右向いたり、左向いたり

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修復後

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森家の家紋の鶴丸紋

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藩日記:三日月藩の公式日記に、安永3年(1774)4月6日に棟上げ式が行われ、8月15日に初通行されたことが記されています。
 門は、朝6時頃開門し、夕6時ごろ閉門、くぐり戸も夜8時ごろには閉門して、附属する番所で通行人を改め、火事の際には警固役が駆け付ける決まりでした。

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現地案内板                   馬上門(馬に乗ったまま通行)

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表門部分拡大                  鬼瓦(森家の家紋の鶴丸紋)安永2年(1773)

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旧三日月藩郭内之図(佐用町指定文化財)     周辺地図

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すぐ近くには三日月藩乃井野陣屋跡に復元された物見櫓があり、その前の畑では5月になるとルピナスの花が満開になります。