森本慶三記念館(歴史民俗館)の雛人形と貝合わせ等
森本慶三記念館(歴史民族間)の2階に行けば出会えるお雛様です。
錦屋(森本家)は森・松平両藩の町年寄役、札元(松平藩)、御用商人として傍ら明治末期まで約300年間、金融業、呉服商、時計店などを営んでいました。
ここに展示した雛人形は、森本豊女が錦屋(森本家)にあった金襴緞子関道(きんらんどんすかんとう)等の名物裂を用い、京から人形師を招き、その指導を受け手作をした雛人形であります。
2025年3月2日撮影(2016年3月1日の様子)(2011年3月9日の様子)
幕末~明治初期 森本豊女作
豪華な冠
幕末~明治初期 森本豊女作
幕末~明治初期 森本豊女作
ぼんぼり 勝姫の文箱(ふばこ)
勝姫の文箱(ふばこ):この分箱は、津山藩祖松平秀康(徳川家康二男)の長男松平忠直に、二代将軍秀忠の娘が嫁した時持参した分箱で葵のご紋入りで、侍従の添え書きがある。
幕末~明治初期 森本豊女作
幕末~明治初期 森本豊女作
幕末~明治初期 森本豊女作
お神輿 泥天神
貝桶:この貝桶の装飾は源氏絵を胡粉で描いたはなやかなもので、金箔で雲形が書いてある。年代 平安末~鎌倉期。
貝合わせ:平安時代に行われた物合わせの遊びの一つ。貝の数は三六〇で左右の貝片に分けて貝桶におさめる。貝合せは婦女子にふさわしい遊戯であって女子の婚礼調度の一つともされた。左右の一つの貝だけしか合わないので、一度嫁した者は再び嫁さないことの表徴とされたためである。
貝合わせ
貝合わせ
定家袋:平安時代からこの種の形のものが宮中で使用されていた。
雛あそびは平安朝時代(781-1185)貴族の家庭に行われた女児の遊びがその始まりといわれる。雛人形の起原は中国であるが、その思想は祓具(はらいぐ)として諸悪災害よけとして使用されたのであり、鳥取地方の流し雛はこのなごりである。
江戸時代初期の雛あそびは、畳の上に毛せんを敷き、人形をならべ、いろいろな調度品をその前に置いた。江戸中期(享保-寛政1716-1800)以後になると壇をもうけて飾り、最上段に屏風または紫裳殿になぞらえた御殿をしつらえるようになった。
内裏雛一対、随身(左大臣、右大臣)、衛士、官女、五人囃、左近桜、右近橘などそろえて宮中の風俗を模した。これに白酒、菱餅、あられ等をそなえ、調度品として箪子、長持、行器(ほかい)(食物を家から外に運ぶ木製の容器)から、茶の湯道具、盃等の台所用具、羽子板、毬等の遊戯道具までそろえたが、段は二段三段であった。
江戸後期に入ると、御所車、雪洞(ぼんぼり)を一、二対たて、桃の花や柳をそえ花生けを置き、さらに明治時代に入ると飾り段も五段七段となった。(文:現地説明より)