イナママのルーツと森本慶三記念館

uchimurakanzou23.jpg

 2019年12月11日(水)イナママが予てから行きたかった津山基督教図書館(現森本慶三記念館)に行って来ました。ママがよく話してくださった実母(明治41年3月2日生)の話の中に内村鑑三氏の話がでていたので「内村鑑三氏の事なら森本慶三記念館にいろんな展示物があったわよ。」というと「是非行きたい。」と言われていたので今日やっと実現しました。
 森本館長の案内で館に入るや否や「これ!この写真よ!あっ、寄贈者に兄の名前があるわ!きっと兄と母がここへ来たんだわ~!」と驚いた様子のママでした。
「新見の醤油屋(現カツマル 醤油)の娘だった母が、高梁の順正女学校から東京の薬剤師の学校へ行っている頃、内村鑑三を知り熱心な信者になったそうなんよ。その時代の写真を母が大切に持っていたのをよく覚えている。この写真がそうなんよ。」ママは感激して「胸のつかえがスーっととれたようだわぁ~。」と感慨深げでした。

uchimurakanzou24.jpguchimurakanzou22.jpg

森本館長と記念写真。              森本館長に説明するイナママです。

uchimurakanzou13.jpgkanzou-2.jpg

実兄の名前を見て感激するイナママ。       ママがはっきりと覚えていた写真です。

uchimurakanzou20.jpguchimurakanzou26.jpg

写真を寄贈したイナママの実兄の名前付き。    イナママ実母の写真、裏には撮影日も。

uchimurakanzou1.jpgkanzou.jpg

「来て良かった!」とイナママです。        内村鑑三氏の家族写真です。

kanzou-1.jpgkanzou-4.jpg

内村先生と津山基督教図書館 
 内村先生は明治44年、大正元年、大正15年と3回津山にお出になりましたが、第3回目は大正15年1月3日の津山基督教図書館の開館式にご来祷になった時は先生も晩年に近づかれまして、もはや地方へ講演には出ぬことにされていましたが、講話のためではない、祈祷のために行くのだと言われて見えたのでした。
その時は厳寒で雪が積もりました。それでも講壇に立って世界の最大の書としての聖書と題して少時間話されました。
そしてその終わりに一言付け加えて、この地は法然上人に縁故のある地であるから、法然研究のための参考文献を収集するようにと勧められ、立石家を訪れて同家秘蔵の法然上人に関する遺物を見、また帰途には誕生寺に立寄って宝物を見られました。
「法然房を以って福音的仏教を産出せし作州の地が、福音的基督教の根拠の地たらんことを祈り申し候」と、かって大正4年の来書の中に語られておりますところから見て、先生が法然上人の他力信仰にいたく共鳴されていた様子がうかがわれます。森本慶三(文:現地説明より)

nzou-3.jpgkeizou-naoya.jpg

↑ 内村鑑三先生 第三回夏期講談会(聖書講義)  ↑ 森本慶三氏の隣は滋賀直哉氏がいます。
  明治35年 於東京角筈女子独立学校

kanzou-5.jpguchimurakanzou15.jpg

↑ 内村鑑三先生津山講演記念写真(大正元年11月、於鶴山公園)
内村先生の二回目の津山訪問、三日間にわたって聖書講演あり、この時「中国教友団」が組織された。

uchimurakanzou16.jpguchimurakanzou7.jpg

立石岐氏からの手紙もありました。        無教会の雑誌

uchimurakanzou6.jpguchimurakanzou8.jpg

同人誌がほとんど揃っているのは珍しいそうです。

poro-morimoto.jpgkeizou.jpg