美作国建国1300年記念「金太郎こども角力大会」
美作国建国1300年記念「金太郎こども角力大会」2013年6月9日(日)
9:00~11:30金太郎こども角力大会の部、12:30~14:20大相撲イベントの部が勝央町植月中の角土俵でありました。主催は勝央北小学校、勝央町、植月、吉野、古吉野地区です。地域一帯で盛り上げておられました。また、ゲストに佐渡ヶ嶽部屋力士(琴欧州、琴国、琴恵光、琴欣旺)が来られていてとても楽しいイベントでした。
本宮角力(ほんぐうずもう)は永正9年(1512)小山城主植月基佐(うえつきもとすけ)が植月中河内後山(こうちうしろやま)の日吉山王宮(ひよしさんのうぐう)を植月北宮代の地に遷座(せんざ)した際、一族郎党の士気を鼓舞せんために始まられたものと言われ、江戸、明治時代には美作の大祭の一つとして広く知られ、盛況を博していた500年の歴史・文化のある相撲です。
植月宮角土俵は昭和に入ってからも各地から多数の力士が集まり、多くの観客を集めて開催されていたが、日中戦争勃発により中止せざるをえなくなっ たが、現在、勝央北小学校児童により相撲の伝統は続けられている。土俵の形については「昔は角土俵、丸土俵ともにあったが、元禄時代から丸土俵に統一され た」とされ、現在、記録に残されている角土俵は仙台、岐阜と勝央町の3か所だけとなってる。
全国で唯一現存している珍しいこの角土俵は、角力大会(すもうたいかい)として現在も継承されており、相撲また勝央町の歴史を物語る地域の大事な文化のひとつである。(文:金太郎こども角力大会開催趣旨より引用)
先生が土俵を慣らしています。 この化粧廻しが手作りで可愛い!
色とりどりの化粧廻しを着けたちびっこ力士。
1年生から6年生まで紅白試合がありました。
美作国建国1300年記念「金太郎こども角力大会」で琴欧州、琴国、琴恵光、琴欣旺に出会った。
ちびっこ力士の顔は、真剣そのものです。
琴欧州たちの目の前ですもうを取るちびっこ力士。
土俵の裾で出番を待つちびっこ力士。 力いっぱいの応援を受けるちびっこ力士。
保護者から「がんばれぇ~~~!」と大きな声援を受けて!
最初から最後までじっと見つめていた琴欧州にプロを感じました。
伝統ある角土俵で相撲を取るちびっこ力士。
琴欧州から記念品をもらうちびっこ力士。 教頭先生から閉会の言葉がありました。
美作市、奈義町、西粟倉村、勝央町、植月地区、吉野地区、古吉野地区、勝央北小学校PTAのみなさんによるおもてなしコーナーでは美味しそうなバーガー、うどん、焼きそば、ばら寿司、パンなどが並んでいましたよ。
「きんとくん」や「かたみくん」こども達に大人気。 江西あきよしさんの姿もありました。
植月の角土俵と角力大会
勝央北小学校にある角土俵は、今からおよそ500年前、1512(永正9)年ごろ、日吉神社(日吉山王宮)が今の場所に遷座された際、相撲をすることで一族の士気を高めるためにつくられたといわれています。以来、今日までそのままの形で継承されている貴重な文化財です。今は「すもう」という字は「相撲」と書きますが、植月地区では「角力」と書き、四角い土俵で行われていたそうです。
相撲はもともと、このような四角い土俵で行われていました。日本相撲協会によると、角土俵は江戸時代の中ごろまで、各地で丸い土俵とあわせて使われていたようです。京都、
四条河原で、4本の角柱にひもを張って土俵にした絵が残っています。その後、丸土俵に統一され、植月地区の角土俵(4メートル四方)は全国で唯一現存している珍しいものとなっています。数年前、岩手県立博物館に四角い土俵が再現されましたが、現在は撤去されているそうです。
ここでの相撲は、日吉神社の大祭のおりには盛大に催されていました。宮角力、奉納相撲として広く遠近に知られ、力士も各地から集まっていました。文化年間(1804~1817)の著書「白玉拾」に美作の大祭として、津山祭、本山天王神事、山形の神輿とこの宮相撲が記されています。また明治25年発行の「植月村誌」には「新野祭、広戸大風、植月相撲の三者に一遇されざれば死して魔王の庁を過ぐるべからず」との俚諺を載せ、江戸、明治とその盛況を伝えています。
戦時に至り、時局の影響を受けて、この奉納相撲は中断され、戦後もそのままになっていました。1967(昭和42)年「植月の角土俵保存会」が結成され、土俵の復元を図るとともに、秋祭(10月27日)に植月小学校の児童によって奉納相撲も再開されました。
2008(平成20)年、植月小学校、吉野小学校、古吉野小学校の3校が統合し、勝央北小学校となりましたが、角土俵での角力大会は引き継がれています。体育の時間に地元講師の指導も受けて練習し、角力大会を開催しています。(文:金太郎こども角力大会「植月の角土俵と角力大会」より引用)