取材記事内検索

取材記事内を検索ワード「橋」で検索した結果,358件の記事が見つかりました。

旧備中松山藩御茶屋跡(通称「水車」)

2021-2-10houkokusuisya23.jpg

 ここは、備中松山藩6代藩主板倉勝職(1803~1849)が、別邸として建てた御茶屋跡です。隣接して水車があったことから通称「水車」と呼ばれました。平成23年(2011)3月、高梁市教育委員会が実施した遺構調査で、水車跡の石組みが発掘され「水車」の呼称の裏付けとなりました。
 幕末に藩政改革をすすめていた山田方谷(1805~1877)は元締役を辞した後、安政6年(1859)4月、長瀬(現・JR伯備線方谷駅)に住居を移しましたが、年寄役助勤として引き続き藩政に参画することとなったため、当時、利用のなかったこの「水車」を城下滞在時の宿舎としていました。
 同年7月、越後長岡藩士河合継之助(1827~1868)が報告の教えを請いに訪れた時はじめは武家屋敷花屋(高梁市鍛治町)に宿泊しますが、8月3日からここ「水車」に移り、長瀬とを往復しながら従学し、方谷の門人進鴻渓(1821~1884)、三島中州(1830~1919)などとの交流もありました。また、周防岩国藩の儒学者東澤瀉(1832~1891)もここに宿泊し、方谷と交流し数日滞在しています。
 現在の施設は、御茶屋跡に唯一残されていた建造物を、平成18年度(2006年度)に高梁方谷会・高橋地域まちづくり推進委員会・(社)日本建築学会中国支部岡山支所が調査し、これに基づいて平成24年度(2012年度)に水車とともに整備したものです。
落成記念:平成25年6月 高梁市(文:現地案内板より転載)(2021年2月10日撮影)

旧備中松山藩御茶屋跡(通称「水車」)の続きを読む

【津山人】神傳流をこよなく愛した田中義男

yoshio_tobikomi.jpg

 田中義男 明治42年2月27日東京芝区生れ、父田中治平が亡くなってから、2年後(義男4歳の時)家族は津山に帰って来た。その後、津山中学を卒業、東京外国語大学の英文科を経て、台湾銀行(当時は日本の領土)に入社するが台湾の気候が合わず、学生時代に患った結核が再発、津山に帰ってきて療養後に亡くなった。義男は子供のころから熱心に神傳流を続けていて指導者の資格も取得し、大学が休みになると帰ってきては子ども達を指導をしていた。

【津山人】神傳流をこよなく愛した田中義男の続きを読む

「方谷園」築庭師は作州津山の岡島亀吉

2021-4-11houkokuen26.jpg

「方谷園」
 山田方谷は幼少より孝心深く、学問に優れ、長じて松山藩有終館の学頭となり子弟の教育に努め大石隼雄、三島毅を始め多くの人材を育成した。後に、松山藩の元締役、吟味役となるや藩の窮乏を救わんと上下節約・負債整理・産業振興・紙幣刷新・士民撫育・文武奨励を掲げ藩政改革を成功せしめた。
 明治維新の際には藩主勝静を補佐して難局にあたり、板倉家を存続させ松山藩や、領民を救い今日に至らしめた。明治の新政府は、方谷を政府の要職に迎えんとしたが固辞して受けず、専ら子弟の教育に専念した。方谷没後、上房郡教育会の発足によりその墓前に庭園を築き先生の英霊をお慰めし、その功績を顕彰して末永く後世に伝えてひとびとの模範となるべく築庭した。(文:現地看板より)(2021年1月27日・4月11日撮影)

「方谷園」築庭師は作州津山の岡島亀吉の続きを読む

高野山真言宗 別格本山感神院 木山寺(真庭市)

2021-6-15kiyamaji27.jpg

 当山は高野山真言宗別格本山感神院木山寺と称し、往古は木山宮として尊信され、弘仁6年(815)弘法大師空海の開基と伝えられる。
 仁寿年間(9世紀中頃)文徳天皇の勅願寺となり、降って應永18年(1411)赤松義則が一山を寺領として寄進し、以来 毛利、宇喜多、小早川等戦国武将や、江戸時代は森、三浦の近隣大名の尊信を集めた。
 御本尊は薬師瑠璃光如来、十一面観音菩薩である 鎮守神には木山牛頭天皇と善覚稲荷大明神を祀る。木山牛頭天皇は薬師如来の化身で左手に羂索、右手に斧を持たれ、除災拓福の大願を成就される。
 善覚稲荷大明神は十一面観音の化身で左手に宝珠、右手に利剣を持たれ商売繁昌、五穀豊饒、開願成就、交通安全の願いを叶えられ、広く中国各地で崇敬帰依されている。(文:案内板より)(2021年6月15日撮影)

高野山真言宗 別格本山感神院 木山寺(真庭市)の続きを読む

春季企画展「資料が秘めた物語Ⅲ」

yougaku2021-4-24.jpg

 津山洋学資料館 春季企画展「資料が秘めた物語Ⅲー洋学者がみた西洋文化ー」が、令和3年3月13日~6月13日まで開催の予定でしたが、岡山県に「緊急事態宣言」が発令(6月20日まで)され各公共施設が閉館となってしまいました。その前に取材していた様子です。(2021年3月19日撮影)


 江戸時代の洋学者たちは、西洋から医学や植物学、化学などの新しい学問を受容しました。また、学問だけではなく、西洋の衣・食などの文化にも関心を持って、様々な記録を残しています。そうした記録は、洋学者たちの研究活動のもとになった好奇心や探求心・観察力を伝えてくれます。
 今回の企画展では、『解体新書』が刊行され、江戸で蘭学が花開く中で催された蘭学(洋学)者たちの宴「新元会」、そして幕末から明治時代にかけての「鉄道(蒸気機関車)との出会い」という二つのテーマで、資料に秘められた洋学者たちの「西洋文化・文明への好奇心」を読み解いていきます。洋学者たちのワクワクした気持ちを追体験していただく機会になれば幸いに存じます。(令和3年3月13日津山洋学資料館)
 

春季企画展「資料が秘めた物語Ⅲ」の続きを読む

津山市鳥瞰図(吉田初三郎)

tsuyama-kochizu2021-31.jpg

 津山市鳥瞰図(つやましちょうかんず)吉田初三郎 館蔵
この絵図は、2021年4月1日~5月9日まで津山郷土博物館3階展示室で《春季企画展》古い写真で見る津山の鉄道展の会場に展示してあったもので、絵で見ると歴史がよくわかるのでご紹介してみます。(ガラス越しなのでぼやけていますがご容赦を。)


 鶴山公園と津山駅が中心に描かれ、鉄道沿線の観光名所を描いた鳥瞰図。博覧会開催に際し、この鳥瞰図を利用して折り込み式の絵葉書が協賛会により作成されている。津山駅の近くには、昭和11年(1936)に建設された扇形機関車庫も描かれている。(文:郷土博物館展示案内より)(2021年4月16日撮影)

津山市鳥瞰図(吉田初三郎)の続きを読む

2021有本由美枝さん宅のバラ園です。

arimoto_y.jpg

 2019年5月18日に津山市新田にある有本由美枝さん宅のバラ園を、ご近所の橋本さんに案内していただきお尋ねしてきました。ここのお庭は、2019年にもお邪魔していますが今年もまた青空の下でバラたちが美しく咲いていました。また、庭中に様々な植物も植えられていて、自然いっぱいの緑の中に咲くバラの花です。ご夫婦で丹精込めて作られたお庭のバラたちです。今年もごく親しい人のみで楽しんでいらっしゃいます。

2021有本由美枝さん宅のバラ園です。の続きを読む

みんなでゴミ拾い&お花を植える活動

mari1.jpg

 2021年5月9日(日)10時~12時まで、アルネ津山交差点、城見橋付近で「みんなでゴミ拾い&お花を植える活動」が吉井川河川敷にて開催されました。これは、森万里子さん提案で、530(ゴミゼロ)運動の皆さんが実行されたそうです。
 この活動は、2013年に行われた「津山偉人ハイカラ祭り」で来津者に気持ちよく町を見てもらおうとアルネ東広場を清掃した時がきっかけだそうです。万里子さんは津山市出身で市に磯野計記念奨学金を設けている、明治屋創業者の磯野計氏の顕彰が目的で、津山偉人ハイカラ祭り実行委員会(世話人・森万里子さん)の有志と共に、今津屋橋北詰~アイふきやの道路両側にある枝垂れ桜並木の根元付近の雑草取り、また、キリンビール岡山工場創立40周年を記念して、水源地となる奥津湖の花いっぱい運動に取り組む鏡野町林業研究グループ連絡協議会に桜の苗木20本を寄贈、植樹などいろいろな活動をしてきたそうです。

みんなでゴミ拾い&お花を植える活動の続きを読む

2021 橋本さん宅のバラの花

hashimoto2021-12.jpg

  2021年5月19日の橋本さん宅お庭のバラたちです。今年は岡山県では「緊急事態宣言発令」が5月31日まで出ておりやむなくオープンガーデンは休止となりました。せめてお庭の写真だけでもと思い立ち寄り、綺麗に咲いたバラの写真を撮らせていただきました。また、お隣の娘さんご夫婦のお庭もバラの花のアーチがとっても綺麗に咲いていました。

2021 橋本さん宅のバラの花の続きを読む

2021年 尾所のさくら

2021-4-7-oso8.jpg

 2021年4月7日の尾所のさくらが満開です。
4月3日にも伺ったのですが、少し咲いていただけでもう少し先かなと思っていましたが、新聞では満開と書いてあったので、今日は青空だし美しい姿だろうなと思い出かけてきました。着いてみると満開となって美しい姿を青空に浮き上がらせていました。久しぶりの青空でしかも満開という状態に感動しました。

2021年 尾所のさくらの続きを読む