取材記事内検索

取材記事内をタグ「神社」で検索した結果,242件の記事が見つかりました。

三橋神社(小性町)

kosyo5.jpg

 小性町の三橋神社は正徳2年(1717)9月29日に宇賀之魂命を勧請。天保8年(1837)に赤穂屋多十郎発起のもと社殿を改築し三端大明神と尊称。
 安政5年(1858)赤穂屋紋右衛門の寄進で屋根葺き替え、明治34年(1901)、江川|浅次郎発起で拝殿改修、更に昭和15年改築を行う。祭神の宇賀之魂命はいわゆるお稲荷さんで三橋家の屋敷神であったが、後に町内神として記られるようになった。所在:津山市小性町 祭新:宇賀之魂命(うがのみたまのみこと) 創建:正徳2年勧請
祭礼:夏祭 7/24 敬老祭 9/8 秋祭 10/24(文:津山城下町まちなかお社巡り 津山まちづくり本舗)(2016年12月7日撮影)

三橋神社(小性町)の続きを読む

御倉稲荷神社(山下)

mikura4.jpg

 山下の津山保育園北側にある御倉稲荷。歴史は古<、森藩時代にこの辺りに藩の詰米御蔵があり、その守り神と
しての存在という。それゆえに「御倉」の名にその意義が伝わり残った。
稲荷信仰は平安初期に史上に現れたが、もとは農耕の神で、五穀を主宰する倉稲魂命(うかのみたまのみごと)を肥った。後世には地区の守護神として、また殖産の神としても栄えた。
所在:津山市山下 祭神:倉稲魂命(うかのみたまのみこと) 創建:慶長年間(1596~1615)以降 祭礼:夏祭7/28
(文:津山城下町まちなかお社巡り 津山まちづくり本舗)(2016年11月30日撮影)

御倉稲荷神社(山下)の続きを読む

宗道神社(鍛治町)

soudou4.jpg

 城主森公は慶長8年(1603)美濃の関鍛冶から刀匠景兼長右衛門を統領とする一門の鍛冶を同伴して入封し、城下のほぼ中央に鍛治町をつくった。
宗道若宮とも称し、当初洞は津山城の南庭に梨樹が一株あるだけであった。宏、政が築山をするため樹下まてホ地を掘ったところ、一匹の青蛇がとくれろを巻いて動ずる様子もなかった。
忠政は即日梨樹を山北村八子の八幡宮の境内に移して把り、その後、宝麿9年(1759)鶴山八幡より此地に遷された。もと人家の裏に把つであったのを、明和6年(1769)社地を広げ参道を設け神門及び鳥居を建立し、鍛治町並びに住民の鎮守とした。又、古代鍛冶部の租神である天目一箇神も祭神としている。
当神社には斉藤家四代平井茂一郎藤原兼景が、宝暦11年(1761)に奉納した鎗(やり)が今も大切に保存されている。
所在:津山市鍛治町 祭神:素戔鳴尊(すさのうのみこと〉、天目一箇神(あめのまひとつのかみ)
創建:慶長年間(1596~1615)以降 祭礼:夏祭7/20、秋祭10/最終日曜
(文:津山城下町まちなかお社巡り 津山まちづくり本舗)(2016年11月30日撮影)

宗道神社(鍛治町)の続きを読む

三橋神社(船頭町)

sendou7.jpg

船頭町の三橋神社と小性町の同名神社は夫婦神社で、元々一つの神社ではないかといわれているが定かではない。
船頭町の三橋神社は寛文3年(1633)勧請され文政年聞になって表門が設けられた。
船頭町の由来は、森氏がこの町の人に年貢米や諸物資の運搬の任にあたらせたのが、町名の由来である。
高瀬舟は、津山舟54隻、長岡舟(八出~柵原)116隻、備前田原舟(和気町)16隻の計186隻が出入りしていた。
橋の上手(東方)には、番所、制札場、高灯龍があった。今津屋橋を架設した今津屋平蔵は、明和元年(1764)に蔵元になったと伝えられている。明治になり交通や営業に制限がなくなり高瀬舟は増加し、船の数は209隻を数えた。しかし、明治31年(1898)に中国鉄道が津山(現津山口)~岡山が開通。以後、高瀬舟は急速に衰退していった。

三橋神社(船頭町)の続きを読む

白玉稲荷大明神(美濃町)

shiratama2.jpg

 東西の通りに面した美濃町会館の二階部分に鎮座する珍しい社。
この美濃町は森忠政が築城に備えて美濃の国の大工などを住まわせた町といわれ、かつては美濃職人町といった。
白玉稲荷大明神の「白玉」に関しては不詳。はじめこの辺りに住んだ五人組頭種谷氏の屋敷神であったといわれる。それが時代の愛遷とともに移り蛮わり、いまでは美濃町の町内神として杷られている。
所在:津山市美濃町 祭神:宇迦之御魂神(うかのみたまのみこと) 創建:慶長年間(1596~1615) 以降
祭礼:夏祭7/28 秋祭10/28
(文:津山城下町まちなかお社巡り 津山まちづくり本舗)(2016年11月30日撮影)

白玉稲荷大明神(美濃町)の続きを読む

小桜神社(河原町)

kozakura2.jpg

河原町は17世紀初めには「瓦町」の記述もあるが、後に、吉井川の河原に出る道があったことによりついた。
修験者大福院宅跡説や伏見町の小棲屋という屋敷に祀られていた故に小桜の名になったという説がある。
正徳2年(1712)に勧請、宇迦之御魂神(うかのみたまのみごと)を把るお稲荷さんの町内神。
所在:津山市河原町12 祭神:宇迦之御魂神(うかのみたまのみこと〉 創建:正徳2年(1712)勧請 祭礼:夏祭7/24 敬老祭9/15 秋祭10/24
(文:津山城下町まちなかお社巡り 津山まちづくり本舗)(2016年11月30日撮影)

小桜神社(河原町)の続きを読む

御先神社(田町)

misaki4.jpg

城下町津山に残る多くの小社の中で、風格ある社建築を持つこの御先明神も古い歴史を持っている。
森家の家臣吉田作左衛門が、二宮高野神社境内にある御先神社を寛永年間にこの地に勧請した。
吉田邸は刃傷沙汰の伝承のある侍屋敷。その話に絡んで稲荷神の「うかのみたま」のお使いである狐を屋敷神として杷ったもの。現在の社は明治時代の建造である。
所在:津山市田町 祭神:お稲荷様=倉稲魂命(うかのみたまのみこと) 創建:寛永年閣(1624~1643) 以降
祭礼:夏祭7/28 秋祭10/28 初午祭2/28(文:津山城下町まちなかお社巡り 津山まちづくり本舗)(2016年11月30日撮影)

御先神社(田町)の続きを読む

千代稲荷神社(南方中)

sendai13.jpg

千代稲荷神社(2016年1月10日撮影)
 千代稲荷神社を19歳からお祀りしてきた山本純吉さん(90歳)にお尋ねしてきました。山本さんが子どもの頃からお稲荷さんとしてお祀りされていたそうです。「お社はあったけどボロボロだったので、寄附を募って屋根を変えたりその時々で修復して来たんです。ここは寄付で建てられたといっていいほどで、以前は土地の方よりは津山の方からやって来てお籠りをしておられました。これから次の世代に渡すときに、神様をお祀りするのは気持ちの問題。これからも何か一つでもしてみようと思ったらこの稲荷様を使って心を一つにしてくれと言っています。」とお話くださいました。今は10軒程でお祀りされているそうですが、平成23年からはお祭りが出来なくなったそうです。

千代稲荷神社(南方中)の続きを読む

熊野神社(荒神山)

kumano17.jpg

熊野神社(旧村社)主祭神:伊邪那岐命
(由緒沿革)本神社の創建年月日は詳かではないが、出雲国竟宇郡の熊野神社を勧請して荒神社と号した。御鎮座の山を荒神山というので村名とした。慶長年中宇喜多氏の家臣花房助兵衛職秀が此の山に居住して深く崇敬し、供田等を寄附して城内の鎮守とした。維新の際、現在の社号に改称し、明治六年村社に列せられた。(文:『岡山県神社誌』より抜粋)(2016年8月15日取材)(2011年取材した荒神山城跡

熊野神社(荒神山)の続きを読む

中山神社の大鳥居とムクノキ

nakayama_muku4.jpg
中山神社 慶雲4年(707)に創建され、貞観6年(864)官社となり『延喜式』では美作国唯一の名神大社で、この国の一の宮とされ、永保元年(1081)に正一位の神階を授かった神社である。
 尼子勢がこの地方に攻めこんだとき兵火に焼け、永録2年(1559)に再建され、明治4年(1871)に国幣中社となったが、戦後、社格制は廃止され、宗教法人中山神社となった。
 神社に到着すると大鳥居がある。これは寛政3年(1791)につくられたもので、角貫に木鼻がなく、笠木と島木にそりをもたせて壮大美を強調してあり、他地方には例をみない大鳥居で「中山鳥居」といわれ、市指定文化財になっている。
 大鳥居の左側には「名木百選」のムクノキがある。推定樹齢500年、目通り周囲5.5m、樹高23mの古木である。(文:津山の散策にしひがしより抜粋)(2016年7月18日取材)

中山神社の大鳥居とムクノキの続きを読む