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取材記事内をタグ「神社」で検索した結果,245件の記事が見つかりました。

三穂神社(奈義町)

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念願を自から果たした神 (「さんぶたろう」伝説発祥の地)
こうべさま由来
 この神域は正貴山と呼ぶ古来の原生林にして1名のこうべ様の名によって往古から美作東北部より因幡路にまたがり広くの民衆の信仰を集めて著名である。 
 別の名を三穂神社と称えるがその三穂の語源ならびに読みにつき諸説さまざまにして詳らかなる定説がない。
 この宮の主神は出雲神族の大国主之命の御子事代主之命であり併せて菅原道真の裔三穂太郎満祐の頭部を後に合祀されている。 (2015年11月20日撮影)

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小須賀稲荷神社(材木町)

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 材木町は津山城築城の折、材木置き場になったことに由来する。
森家の重臣森采女の別邸が置かれたが、松平藩に代わり重臣の小須賀氏の別邸となった。一説にこの屋敷の屋敷神が小須賀稲荷神社として伝わり、現在は材木町と伏見町の町内神になったと伝えられている。武士が屋敷神として稲荷の洞を設けるようになったのは、江戸中期、足軽の子から、幕府の老中まで出世した田沼意次(おきつぐ)が、稲荷を厚く信仰していた為という説がある。
所在:津山市材木町 祭神:宇迦之御魂神(うかのみたまのみこと) 創建:慶長年間(1596~1615) 以降
祭礼:秋祭10/末~11/初
(文:津山城下町まちなかお社巡り 津山まちづくり本舗)(2016年11月30日撮影)

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三橋神社(小性町)

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 小性町の三橋神社は正徳2年(1717)9月29日に宇賀之魂命を勧請。天保8年(1837)に赤穂屋多十郎発起のもと社殿を改築し三端大明神と尊称。
 安政5年(1858)赤穂屋紋右衛門の寄進で屋根葺き替え、明治34年(1901)、江川|浅次郎発起で拝殿改修、更に昭和15年改築を行う。祭神の宇賀之魂命はいわゆるお稲荷さんで三橋家の屋敷神であったが、後に町内神として記られるようになった。所在:津山市小性町 祭新:宇賀之魂命(うがのみたまのみこと) 創建:正徳2年勧請
祭礼:夏祭 7/24 敬老祭 9/8 秋祭 10/24(文:津山城下町まちなかお社巡り 津山まちづくり本舗)(2016年12月7日撮影)

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御倉稲荷神社(山下)

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 山下の津山保育園北側にある御倉稲荷。歴史は古<、森藩時代にこの辺りに藩の詰米御蔵があり、その守り神と
しての存在という。それゆえに「御倉」の名にその意義が伝わり残った。
稲荷信仰は平安初期に史上に現れたが、もとは農耕の神で、五穀を主宰する倉稲魂命(うかのみたまのみごと)を肥った。後世には地区の守護神として、また殖産の神としても栄えた。
所在:津山市山下 祭神:倉稲魂命(うかのみたまのみこと) 創建:慶長年間(1596~1615)以降 祭礼:夏祭7/28
(文:津山城下町まちなかお社巡り 津山まちづくり本舗)(2016年11月30日撮影)

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宗道神社(鍛治町)

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 城主森公は慶長8年(1603)美濃の関鍛冶から刀匠景兼長右衛門を統領とする一門の鍛冶を同伴して入封し、城下のほぼ中央に鍛治町をつくった。
宗道若宮とも称し、当初洞は津山城の南庭に梨樹が一株あるだけであった。宏、政が築山をするため樹下まてホ地を掘ったところ、一匹の青蛇がとくれろを巻いて動ずる様子もなかった。
忠政は即日梨樹を山北村八子の八幡宮の境内に移して把り、その後、宝麿9年(1759)鶴山八幡より此地に遷された。もと人家の裏に把つであったのを、明和6年(1769)社地を広げ参道を設け神門及び鳥居を建立し、鍛治町並びに住民の鎮守とした。又、古代鍛冶部の租神である天目一箇神も祭神としている。
当神社には斉藤家四代平井茂一郎藤原兼景が、宝暦11年(1761)に奉納した鎗(やり)が今も大切に保存されている。
所在:津山市鍛治町 祭神:素戔鳴尊(すさのうのみこと〉、天目一箇神(あめのまひとつのかみ)
創建:慶長年間(1596~1615)以降 祭礼:夏祭7/20、秋祭10/最終日曜
(文:津山城下町まちなかお社巡り 津山まちづくり本舗)(2016年11月30日撮影)

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三橋神社(船頭町)

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船頭町の三橋神社と小性町の同名神社は夫婦神社で、元々一つの神社ではないかといわれているが定かではない。
船頭町の三橋神社は寛文3年(1633)勧請され文政年聞になって表門が設けられた。
船頭町の由来は、森氏がこの町の人に年貢米や諸物資の運搬の任にあたらせたのが、町名の由来である。
高瀬舟は、津山舟54隻、長岡舟(八出~柵原)116隻、備前田原舟(和気町)16隻の計186隻が出入りしていた。
橋の上手(東方)には、番所、制札場、高灯龍があった。今津屋橋を架設した今津屋平蔵は、明和元年(1764)に蔵元になったと伝えられている。明治になり交通や営業に制限がなくなり高瀬舟は増加し、船の数は209隻を数えた。しかし、明治31年(1898)に中国鉄道が津山(現津山口)~岡山が開通。以後、高瀬舟は急速に衰退していった。

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白玉稲荷大明神(美濃町)

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 東西の通りに面した美濃町会館の二階部分に鎮座する珍しい社。
この美濃町は森忠政が築城に備えて美濃の国の大工などを住まわせた町といわれ、かつては美濃職人町といった。
白玉稲荷大明神の「白玉」に関しては不詳。はじめこの辺りに住んだ五人組頭種谷氏の屋敷神であったといわれる。それが時代の愛遷とともに移り蛮わり、いまでは美濃町の町内神として杷られている。
所在:津山市美濃町 祭神:宇迦之御魂神(うかのみたまのみこと) 創建:慶長年間(1596~1615) 以降
祭礼:夏祭7/28 秋祭10/28
(文:津山城下町まちなかお社巡り 津山まちづくり本舗)(2016年11月30日撮影)

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小桜神社(河原町)

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河原町は17世紀初めには「瓦町」の記述もあるが、後に、吉井川の河原に出る道があったことによりついた。
修験者大福院宅跡説や伏見町の小棲屋という屋敷に祀られていた故に小桜の名になったという説がある。
正徳2年(1712)に勧請、宇迦之御魂神(うかのみたまのみごと)を把るお稲荷さんの町内神。
所在:津山市河原町12 祭神:宇迦之御魂神(うかのみたまのみこと〉 創建:正徳2年(1712)勧請 祭礼:夏祭7/24 敬老祭9/15 秋祭10/24
(文:津山城下町まちなかお社巡り 津山まちづくり本舗)(2016年11月30日撮影)

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御先神社(田町)

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城下町津山に残る多くの小社の中で、風格ある社建築を持つこの御先明神も古い歴史を持っている。
森家の家臣吉田作左衛門が、二宮高野神社境内にある御先神社を寛永年間にこの地に勧請した。
吉田邸は刃傷沙汰の伝承のある侍屋敷。その話に絡んで稲荷神の「うかのみたま」のお使いである狐を屋敷神として杷ったもの。現在の社は明治時代の建造である。
所在:津山市田町 祭神:お稲荷様=倉稲魂命(うかのみたまのみこと) 創建:寛永年閣(1624~1643) 以降
祭礼:夏祭7/28 秋祭10/28 初午祭2/28(文:津山城下町まちなかお社巡り 津山まちづくり本舗)(2016年11月30日撮影)

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