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取材記事内をタグ「神社」で検索した結果,245件の記事が見つかりました。

大佐神社(新見市大佐)

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方谷の母の生家のすぐ近くにあり、4歳の時の板額「つる」が奉納されている。(記念館で展示中)

 大佐神社は6,805㎡の広大な社叢に囲まれて鎮座している。本殿は大同3年(808)に造営され、江戸末期に再建されたものである。
 社屋は本殿拝殿の二棟で、本殿は三方千鳥破風造りで、蟇股内に十二支を彫刻し、色鮮やかな鶴を配した手のこんだ彫刻は参拝者の目を楽しませる。
 広大な社叢は県下でも屈指のものであり、鳥居から拝殿へ通じる参道200mには巨木杉並木が300本を数え、100有余本は樹齢数百年で、昼なお暗い参道は、まさに神秘的な静寂さを漂わせている。
大佐町指定重要文化財:大佐神社(本殿・社叢)/指定:昭和39年8月30日(大佐町教育委員会)

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2021 白加美神社のとんど焼き

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 2021年1月14日津山市小田中にある白加美神社で、毎年恒例のとんど焼きがあり、今年もお飾りを持って行き無病息災を祈りながら焼いてきました。各地域でとんど焼きの日にちは違うと思いますが、白加美神社は毎年1月14日にとんど焼きを行います。今年は長老にいいこと聞いたので、ここに記しておきます。
 なんでも、お飾りを焼いた灰を、線香立ての灰として使用するといいのだそうです。長老曰く、「この灰に線香を立てていくと次々に線香の灰が積み重なっていき丁度よくなる。毎年こうしている。」とのことで、居合わせた皆で「早く聞けばよかった!」と言いました。今までは、毎年お飾りを焼いた灰を持ち帰り、家族のおでこに塗るとその年は健康でいられるという風習があり、そのために灰を持ち帰っていたのですが他にも利用できることを知り得した気分になりました。
 また、節分の豆まきが終わった後の散らばった豆をひろっておいて、雷のなる日に撒けば雷が逃げていくという話が昔から伝わっているのだそうです。町内でも世代を越えて集まりワイワイ話す機会がない中、この様な行事で長老の話に耳を傾けるのもいいものだと思うこの頃です。

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2021 大隅神社へ初詣

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 大隅神社は、奈良時代の和銅年間(707~715年)以前の創建と伝えられている古社です。拝殿は昭和に建て替えられたそうです。神輿は、1842年に造られたもので、津山市の重要有形民俗文化財となっています。また、神門は津山城内にあったものを移築したもので格式があります。
 まだまだ先の見通せない時勢なのですが、新型コロナウイルスの収束や家族の健康などを祈りました。

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2021 伝説の地 作楽神社の初詣

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2021年1月2日の作楽神社の初詣の様子です。(作楽神社の詳しい記事はこちらをご覧ください。)
「太平記」と児島高徳  児島高徳は忍びの頭だった。
「天莫空勾践 時非無茫蠡」(天勾践を 空しゅうする莫れ 時に茫蠡 無きにしも非ず)
 児島高徳は、後醍醐天皇宿泊の院庄の館に忍び込んで、このように読む十文字の詩を桜の木をけずって書きました。
 これはその昔、中国で茫蠡と言う家来が、敵にほろぼされかけた勾践という王を大変な苦労のすえ助け、国を再興させたという物語を例にして、こういう忠義な家来もいないわけではありませんよと、天皇を励ましたものです。中国の古典に詳しかった天皇は、これを見てほほえまれたといいます。
 明治に新劇を始めた川上音二郎らによって、これが芝居として演じられて評判となり、院庄と高徳の名前は、広く全国に知られるようになりました。戦前には、高徳は楠正成と同じ忠義なさむらいとして、教科書にもとりあげられ、文部省唱歌にもなりました。

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2021 美作国一宮 中山神社の初詣

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2021年1月2日の「美作国一宮中山神社」です。
 文武天皇美作の一宮である中山神社は慶雲4年の創祀。貞観6年官社に列し、延喜式では美作国唯一の名神大社で此の国の一宮とされ、永保元年には正一位の神階を授かる。平安時代の「今昔物語」には当社の猿神伝説があり、鎌倉時代の後白河法皇の御撰にかかる「梁塵秘抄」では関西に於ける大社として安芸の厳島、備中の吉備津と共に肩を並べている。本殿は単層入母屋造妻入・桧皮葺で大正3年に国の重要文化財に指定。

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2021 津山の総鎮守 徳守神社に初詣

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 2021年コロナウイルス感染拡大防止のため1月2日に「津山の総鎮守 徳守神社」へ初詣に行ってきました。着いてみると、山門には消毒の設置がされていて例年とは違ったコロナウイルス感染拡大防止策が取られていて、子供たちもアルコール消毒する光景が見える参拝となりました。家族単位でお参りされている方々がおられ、例年元旦にお参りする賑やかな初詣とは違った静かな参拝でしたが、皆さん幸せそうなお顔でお参りされていました。まだまだ、コロナウイルスが猛威を振るって大変な年明けですが、どうぞ皆様にとって幸多い年となりますようお祈り申し上げます。

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町川神社(奈義町)

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 町川神社は、後醍醐天皇が隠岐へご遷幸の時、後を追ってこられた側室の広橋の局が町内西原で追治皇子を出産され、その後皇子の住まわれる御所を現在の地に造営したのが起こりといわれています。
 本殿は桧皮葺中山造様式(正面入母屋妻入、背面切妻)の建築で、数段の斗供によって屋根を支え、正面に唐破風の向拝を取り付け、軒下には手の込んだ彫刻を施しています。向かって右の扉には皇室の紋章の16葉の菊、向かって左の扉には皇室より下賜された57の桐の紋章を配しています。
明和6年(1769)の建立で、寺社では町内最古の建造物です。
拝殿の前の2基の灯籠は、宝暦3年(1753)氏子中の寄進で、本殿前の「御所宮」の神額は明和8年(1771)出雲大社宮司千家尊徳氏より寄贈されたものです。
奈義町教育委員会 昭和53年12月1日町指定史跡 (文:現地案内板より)(2018年1月20日撮影)

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倉見神社(加茂町)

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由緒
 口碑によると、正和三年神託により大山祇大神・闇見津羽命を勧請したという。二柱の大神はいずれも鉄山業者の崇敬神である。由来此の地が砂鉄採掘の盛んに行れた地であることは、現存する遺跡や、倉見の地名などで明らかである。元和十年・慶安元年・天和三年に再建した。天正五年に国司神社を合祀した。明治六年二月倉見神社と改称し、明治九年村社に列せられた。(文:『岡山県神社庁HP』より)(2020年8月8日撮影)

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天満神社(河辺)

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由緒
 第六十代醍醐帝の延喜元年菅原道真公が大宰府に左遷せられた時、この地の志とと原まで御輦を運ばれた時に、野辺の梅花の春風に散っている様を御覧になり、住みなれた都の名残を惜み感涙を流されたという。延喜三年二月二十五日に薨去になり、その後、この里人に度々霊夢があったので、長徳の頃この志とと原に一宇を建立して、見帰天神宮と奉称した。(文:『岡山県神社庁HPより』)(2020年8月3日撮影)

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金屋神社(金屋)

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由緒
 百済王敬福の末裔、百済源次家久が観応2年(1351)3月官命によって、長岡郷に移住し鋳工を始めた。世人はこれを釜屋と呼び、業が大いに盛んになり、人家が集合して一邑をなしたという。当時の釜屋が現在の金屋である。家久は猿田彦神を守護神として祀り金屋権現と称した。明治4年金屋神社と改称し、明治6年村社に列した。昭和24年摂社八幡神社を合祀して相殿に祀っている。(文:『岡山県神社誌』より抜粋)(2020年6月27日撮影)

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