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取材記事内をタグ「神社」で検索した結果,242件の記事が見つかりました。

森神社(西横山)

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 由緒 口碑によると、戦国時代に此の地の領主の荒尾志摩守が京都の伏見から、稲荷神社の御分霊を勧請したものと伝えている。勧請年代は不詳で、もと町内字朝伏に鎮座していたのを、寛文四年に現在地に遷座した。明治四十五年一月境外末社の国常立神社を合祀した。(文:岡山県神社庁HPより)
 作陽誌には「守神社在二横山村一 氏神也祭祀端午重陽仲冬十二日、境内東西四十八間、南北十九間、末社有二荒神」とあります。村社(2016年3月6日撮影)

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藤和田神社(王子大権現・車戸神社)久米町(領家)

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藤和田神社(領家)
祭神は、伊弉諾命・菅原神・天穂日命である。
此の社は正暦4(993)年8月、近江國犬上郡多賀村に鎮座の多賀神社の 分霊を勧請したものであるので祭神は多賀神社と同一の神であるはずであって「かれ、其の伊邪那岐大神は、淡海の多賀になもまします。」(古事記上巻)と あって多賀神社の祭神は伊邪那岐大神であるので、藤和田神社の祭神は当然伊邪那岐命であることは申すまでもないことである。

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加茂の戸賀神社(子守様)

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子守様(かもの夜話から) (2015年11月12日取材)
 戸賀の氏神様は、子守宮といいイザナギ・イザナミの夫婦神を祭祀してある。
 むかしから嬰児の夜泣きに霊験があり、夜泣きのはげしい子を持ったものが、参詣して「お猿のぬいぐるみ」をお借りして帰り、子供の着物の襟につけ、御利益を得てお礼参りの時に「お猿のぬいぐるみ」を二つにしてお返しする。近時、霊験あらたかにして、参拝者が多くなってきています。
 秋の大祭は9月9日であり、冬祭りは12月10日、神様所有の田にできた米で当番三軒で甘酒を作り、甘酒祭りをした。
 明治末期、神社合祀で塔中の軒戸神社に合祀したが、その後分離帰村して、もとの宮地に鎮座します。今は、春の例祭は4月10日、秋の大祭は10月10日に執り行ない、傘鉾の御神事があります。
大勢の方々のご参拝をお待ちしております。 戸賀部落  加茂町観光協会

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2015年 第11回 院庄たかのりまつり

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第11回「院庄たかのり祭り」(春季大祭)が、2015年4月12日に執り行われました。毎年4月第2日曜日に行われるまつりは、多くの参詣者で賑わいます。今年は、さくらは既に散っていましたが、多くの老若男女が訪れて盛りだくさんのイベントを楽しんでおられました。また、作楽(さくら)神社は、鎌倉時代に美作(みまさか)守護職の館があったところで、境内全体が大正11年(1922)に国指定の文化財(院庄館跡)となっています。
(第9回 院庄たかのりまつり)

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大石神社(赤穂市)

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 由緒 大石神社は明治元年、明治天皇の東京行幸に際し、泉岳寺の義士墓前に宣旨並びに金幣を賜ったのを契機に神社奉斎の議が起こり明治三十三年神社創立が公許され、大正元年十一月三日義士を崇敬追慕する方々の奉賛により御鎮座となった。
 ご祭神四十七義士が一年十ヶ月の永い間艱難辛苦の末見事主君の仇を討った事により大願成就、願望成就の神として全国よりお参りを頂いている。境内地は大石内蔵助、同じく家老の藤井又左衛門そして義士片岡源五右衛門、大石瀬左衛門の邸跡一帯である。
 尚、ご社殿を始とする境内各施設は平成十四年の義士討入り満三百年を記念した境内整備事業により一新された。
 その後、浅野家三代の城主長直・長友・長矩の三侯、浅野家断絶後の城主森家の遠祖、本能寺の変で亡くなった森蘭丸等七代の武将を合祀している。

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義士木像法安殿・義士宝物殿別館(大石神社)

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 大石神社の境内にある義士木像法安殿なのですが、ここには神崎与五郎と茅野和助の木造があるとお聞きし、神崎与五郎や茅野和助がどのような姿だったのかを知りたいと思い訪ねてきました。
 説明板によると、「大石神社境内には四十七士の討入り関係遺品、浅野家・大石家に伝わる宝物を展示している義士宝物殿・同別館、義士自刀二百五十年を記念 し当代一流の彫刻家による浅野長矩像を始め四十七義士の木像を納めた義士木像法安殿、大石内蔵助邸長屋門・庭園の四ヶ所が資料館として拝観できる。」だそうです。

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上山天皇・車戸神社(坪井上)

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2016年1月6日上山天皇・車戸神社に行って来ました。
上山天王様(亥子様)
福本部落の東方の小山「亥の子山」と呼ばれている頂上の平らな場所に祀られている。田畑や稲作等の守護神で五穀豊穣を願い毎年11月の亥の日に祭を行っている。上山牛頭天王とも云われている。亥の日にこたつを出せば火難にあわない。この日ろっく様にはぼたもちを供えるならわしが伝えられている。
車戸様 
上山天王様(亥子様)と並んで「亥の子山」に祀られている神様で農家にとっては大切な財産である牛の神様で豊作と健康を願い祭をする。一方旧久米町領家にこれに関係した車戸様が立派な社に祀られていてそばに置かれている石牛は右向は福本地区に、左向は領家地内のものとなっている。関係がありそうである。(文提供:岩屋城を守る会 会長 北蕙兆氏)

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笠森神社(坪井上)

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 福本の地に名跡をもつ福本藤兵衛と云う人が居住していた(天正7年亀山城にて討死する)
笠森神社は福本家氏神様であった。なかでも藤兵衛死後、子が笠森大明神神主を勤めその菩提を弔った霊社である。今日地名が福本と呼ばれているのは福本家にあやかってのものであり、福本住民は部落の氏神様として祀っている。祭神は倉稲魂命(うかのたまのみこと)
(文:北恵兆さん)(2016年2月6日撮影)

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七森神社(坪井下)

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七森神社(所在地 大谷神楽殿)
 祭神は、田心姫命(中瀛)・湍津姫命(海浜)・市杵島姫命(遠瀛)の三神です。
 いつの時代に勧請(神仏の分霊を迎える)されたかは定かではない。坪井下大谷の辺鄙の地に鎮座されていましたが、明治41年10月鶴坂神社に合祀されました。
 また、大谷山の芝草刈論争(大谷山論)で、江戸幕府に直訴以来勝訴になるまで坪井村の住民は、七森神社に必勝祈願を毎日続けたと云う。それ以来秋の祭礼は、10月17日に仕事を休み神様に感謝の意を表すことを決めたそうです。現在も坪井の若者が御神輿を担ぎ地区内を巡幸し、秋季大祭を盛り上げています。
 三神は、天照大神が須佐之男命と天の安河原にて御誓の時に生まれた神で、宗像にいて、筑紫国を治め、もっぱら天孫を助けたと云う。

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2016年1月1日 田神社の初詣風景

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2016年1月1日の田神社の初詣風景の取材です。小雨がぱらついていましたが、見上げると夜空にはお月さまや星が輝いていました。午前1時前でしたが次々とお参りされる地元の方に混ざって昨年の取材御礼をしてきました。また、甘酒とおでんのお接待があり、甘酒をいただいてほっこりして田神社を後にしました。(2014年4月28日田神社取材)

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