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取材記事内をタグ「神社」で検索した結果,245件の記事が見つかりました。

徳守神社社殿 県指定重要文化財(建造物)

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 当社の由緒については諸説あるが、徳守宰相を祀る「勅使宮」であるとする『森家先代実録』『作州記』等の説と、天照大神を祀る「勅旨宮」で天平以前の鎮座とする『美作風土畧』等の説との二つに大別できそうである。矢吹正則は『徳守神社誌』において「伊勢神廟ヲ勧請シ奉リシモ古キ御事ニテ一度皇太神ヲ合祭シ奉テハ之ヲ主神ト仰キ奉ルハ尊神ノ衷情二出シモノニテ敢テ祭神ヲ左右セシモノニハ非ルへシ」と合理的に解釈している。古代の総社宮での重陽祭では、幣を奉納する近郷八社の一つであったという。
 天文8年(1539)に焼失したが、慶長9年(1604)春、森忠政が築城に先立ち、津山の鎮守として徳守神社を再建、同年内に落成して遷宮され、新田村において70石の社領を寄附された。2代藩主森長継は寛永14年(1637)さらに10石を加増し、寛文4年(1664)に社殿を新築した。現在の本殿・釣殿・拝殿がこれに当たる。

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2018 高野神社の秋祭り

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2018年10月21日(日)に平成最後の「津山祭り」が高野神社にて執り行われました。この日は昨年とはうって変わって晴天に恵まれ、盛大に神事が行われ本当によかった。だんじりもウエストランドに集合した後、高野神社まで行きます。今年は本殿が修復の工事の為、神様は一時御崎神社に遷座されていました。また、今年のだんじりは11臺だったそうです。(だんじりを全部撮ることは出来なくてごめんなさい。)

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高富神社(小桁)

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由緒

口碑によると、貞観年中(859~877)小桁山極楽寺の僧円仁が、近江国日枝神社の御分霊を迎えてこの山に祀り極楽寺の鎮守としたという。作陽誌に、極楽寺の項の鎮守社山王十禅師とあるのは本神社のことである。最近まで極楽寺住職が例祭には必ず参列するのを例とした。本神仕はもと山王権現社と奉称したのを、明治4年高富神社と改称し、明治6年村社に列した。(文:岡山県神社庁HPより)

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荒尾稲荷神社(東横山)

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由緒
創建年代、由緒は不明であるが、口伝によると、戦国時代の此の地の領主荒尾志摩守が京都の伏見から御分霊を勧請したと伝えられる。それ故今に此の谷を荒尾谷と呼んでいる。
主祭神:倉稲魂神 例祭:10月28日 主要建物:本殿・拝殿 津山市東横山623
宮司宅電話 0868-22-4390(文:『岡山県神社誌』より)

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大崎神社(中原)

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大崎神社
由緒・沿革
 森家神明帳によれば、三條天皇の時代長和4年(1015年)11月に、前年、秋季より中原郷内に疫病が流行して死するもの多く、一年余りにして尚止まらず益々甚だしく、これを美作守源道方に訴えました。
 道方は当時宮内卿として美作守も兼務の折柄、宮内吏に崇神天皇5年、天下に疫病流行して止まらざるにより、翌年、和州笠縫の里に大国魂神、大物主神を勧請して三輪明神と崇めたら天下の疫病ことごとく治りました。
 この例を聞き、道方同年の貢稲100束をもって長和5年5月当郷に大国魂神を勧請して西大崎明神と、大物主神を勧請して東大崎明神と崇めたところ疫病がたちまち鎮止しました。
 以ってこの明神に不敬ある族は必ず疫病に懸かり、又は不幸に陥ると氏子大いに恐れまして厚く尊崇しました。

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夏祭り宵宮 徳守神社万燈籠

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2018年7月22日に徳守神社万燈籠がありました。連日の猛暑の中でしたが、大勢の方がお参りに訪れていました。NPO法人楽アートプロジェクトさん演出の光のアート、地元の子ども達の描いたユニークなあんどん、また、奉納演芸等がありました。日が暮れて来ると境内の竹や樽を使った様々な美しい灯りが心癒してくれました。(徳守神社の夏越祭の神事と万燈籠の試験点灯の様子

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徳守神社の夏越祭の神事と万燈籠

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 2018年7月23日に徳守神社の夏越祭の神事が行われます。また、宵にあたる22日には長年途絶えていた宵祭が復活されてから3回目の万燈籠の神賑い行事が行われます。今年はNPO法人楽アートプロジェクトさんとのコラボで更にパワーアップした宵祭となりそうですね。また、23日の本祭りには、きもだめしがあったり、奉納演芸があったりと境内はにぎわいそうです。
※神賑いとは、「今」人々が楽しんでいる事や文化を神さまと共に共有し、共に楽しむ古来からの神事だそうです。(2016年夏越祭の様子

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遊屋八幡神社(勝央町)

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由緒・沿革
八幡神社の創立
 旧高取五ヶ村の氏神「八幡神社の由緒書きによると、貞観2年(860年)に美作の国、勝田郡の人で大宅鷹守の子鷹取が備中権守に任命された時、貰った神功皇后のお腹帯と忍態皇子(応神天皇の第3皇子)の衣の袖を父の鷹取に贈ったところ、この親子が備中美作と、遠くは離れて住んでいるにもかかわらず、毎晩同じように八幡大神の夢を見るので「不思議なこともあるものだ、これはきっと神のお告げに違いない」と信じて宇佐八幡の神を黒坂の水清川の源である清野山(場所不明)に祀ったのが八幡神社の起源であるということです。(湯谷八幡神社)
 その後、天徳2年(958年)に再建され、永承3年(1048年)に源実朝が美作権守になって赴任した時、当時の神主である大杉次郎太夫が古殿を改築し、神楽殿を建立しました。

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