景清神社(西粟倉村)~美作は謎に満ちて~

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美作国theミステリーの謎解きでやってきた景清神社(景清神社 岡山県英田郡西粟倉村影石)(2013年9月29日)

看板に(粟倉13景)~景清が岩に腰かけ吹く笛の音ごろの水音先代に流るる平悪七兵衛景清ゆかりの地~「平家であらざれば人でなし」と我が地の春を謳歌し た平家一族の勇将平悪七兵衛景清が産水をとったと言われる「産水池」「腰掛岩」などの伝説がこの地に残されています。また、「景清さま」は眼病に霊験あら たかで、数多くの参拝者もあります。(看板より)

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「道の駅レストセンター あわくらんど」は何かイベントがあったみたいです。

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八百屋さんの横の道を上がるとほどなくして景清神社に到着

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景清神社正面

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景清神社正面                     横には大きな大きな岩があります。

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片目の魚を探しましたが、当然魚はいませんでした。水がとても綺麗。

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近くに間伐モデル地区があります。


~ 景清神社 (影石谷) ~ 悪七兵衛 景清の伝説

 悪七兵衛景清は、藤原秀郷の子孫といわれ、壇ノ浦の戦いで源氏に敗れた平家の武将だったといわれています。その悪七兵衛景清が生まれたと伝えられている地に、景清神社が建っています。
 神社の周りには、鎧岩や腰掛岩といった景清の言い伝えにちなんだ巨岩・奇石があり、景清が産水を使ったという産水池の水には眼病に霊験あるとして、現在も参詣する人が絶えません。

 弓の名手、剛勇の士でありながら源平の争いの中で時代に翻弄された悲劇の人として、室町時代から能や狂言の題材としても取り上げられる悪七兵衛景清。言い伝えの真偽はさておき、今に至るまで人々の信仰を集めているのです。

(文:西粟倉村HP ~あわくら歴史街道~ H12.5より抜粋)