竜光山 清水寺(久米南町)
竜光山清水寺略縁起
当山は人皇第49代光仁天皇の御宇、宝亀3年、約1210年前、一源律師の開基にして、御本尊は聖如意輪観世音を奉祭する。
竜光山清水寺とわ、山脈の起伏があたかも竜の長々と横たわるに似たり、当山の高く雲をついているところわ即ち竜頭に当り、西南に自然低下し遠く旭川沿に延びるのわ竜尾のそれである。往古常に紫雲山頂をおをい、その咽喉たる東北の谷に霊水ありこの湧き出ずるをもって、古人相いはかり、山上に小堂を建てて竜神を祭る。一源律師またこの霊地に寺院を造営し、名づけて竜光山清水寺と称す、元七坊の末寺ありという。しかれどもおしむべし、天正年間、約400年前天下戦乱の時代、毛利氏威をふるい、赤松、浦上、の二氏を亡して当地方大いに乱れ、諸城を降し火を放ち当山も又その犠牲となりて、一時仏光の滅する慈境に落ちいったのである。時の住僧仏徒と相いはかり、堂塔の再興を議して現存の本堂等を再建する。
以来度々修復を行ない今日にいたる。寛文年中、約300年前、森忠政公、領民のかん天に泣くをあわれみて、時の住職快清上人に請雨の事を託される依って上人感激し竜神に祈る事3日、ついに慈雨を得て、領主領民に歓喜したと伝えられている。森公喜ばれて寺の境内に松数十本を植えて寄進される、この松の内一本が今尚大木となり、寺の南西ゆずの木たわにのこっている。
霊地というのわ東北の谷にあって、いかなる炎天下でも水の枯ることがない、この水わ即ち当ぶ落耕田のかん概の源をなしている。ことに当山の御本尊わ安産守護の霊験ありて遠近より参拝がある。33年毎に御本尊の開扉供養法会が行なわれている。(文:竜光山 清水寺より)
山門
当山の行事:護法祭、8月16日夜執行 県無形文化財。
当山の宝物:愛染明王、地蔵堂、二軸、鎌倉時代
古文書類:江戸時代。以上(文提供:竜光山 清水寺)
本堂
本堂
本堂左横 本堂前
地蔵堂
客殿・庫裏
山門 住職に案内していただきました。
境内から辛香峠や遠く瀬戸内海が見える
9月と云うのに瑞々しい紫陽花の花が咲いていました。(2019年9月7日撮影)