大日山 光明寺(鏡野町)

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大日山 光明寺(高野山真言宗第71番札所)
 当山は大同元年(806)に、行基菩薩によって開創されたと伝えられ、大日山と号し、大日如来を本尊とするお寺です。
 元亀年中戦火に遭い、灰塵となりましたが、その後、葛下城主・中村大炊助頼宗という武将が、岩屋城(現在の津山市久米)を攻める時に当山を詣で「大日是摩利支尊天は、欽仰する所なり、戦い勝つを得しめば焦跡を復さん」と戦勝を祈願しました。宇喜多氏との戦いに勝利した中村氏は、自分の守り本尊として信仰していた不動明王を当山に納め、僧快伝を住職とし復興に尽力され、現在に至っています。明治八年四月から本堂を択善(羽出)小学校の校舎として授業が行われていました。(文:『美作霊場めぐり』より)

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大日山 光明寺境内

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大日山 光明寺
 大日山光明寺は、元亀年間(1570~1573)に寺は兵火により、灰燼となり、天正九年(1581)毛利方の葛下城(鏡野町山城)城主中村大炊祐頼宗は宇喜多方の岩屋城(久米町中北上)を攻めたときこの寺に詣り「大日如来、魔利支尊天(戦国時代戦の神様として信仰されていた)は私も信仰している。戦に勝たしていただけるなら焼け跡を修復します。」と祈願し、その結果戦に勝ちました。頼宗は祈願のとおり、お寺を修復して護持していた念仏不動明王をお寺に祀ったと伝わる古利である。(新訂訳作陽誌)平成14年2月25日 奥津町教育委員会 (現地案内版より)

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大日山 光明寺の鐘

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大日山 光明寺境内(2019年10月5日撮影)


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2021年6月5日再度訪れた時にはさつきが綺麗に咲いていました。

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元々はこの正面の山の中腹にあったそうです。