資料が秘めた物語Ⅵ「江戸時代の病気と治療法」
令和8年度津山洋学資料館前期企画展「資料が秘めた物語Ⅵ」が津山洋学資料館の展示室で開かれています。現代の医療とは大違いの江戸時代~大正時代の治療について詳しく説明されていて興味深い展示になっています。また、最期の津山藩主松平慶倫公の容態と治療についても記されており、 慶倫の臨終までの数日間の様子が詳しく書かてれいます。 (以下文:津山洋学資料館展示案内より転載)
病気と治療法
映像や写真などがまだ一般的ではない時代、病変や治療の手順などはその様子を絵で描いて解説したものも多くありました。
ここでは、美作地域の医家に残されていた資料を中心に、当時の医師たちが勉強をした医書に描かれた病気と治療法についてご紹介します。
★写真左:外科治療の様子
【外科医術絵巻物】(江戸時代)
外科の治療の様子を描いた絵巻。
この絵巻は津山藩医久原家に伝わったもので華岡塾で外科を学んだ玄順、宗哲、洪哉のうちのいずれかが持ち帰ったものと伝わっています。
★写真右:包帯の巻き方【縛帯図説】(写し)中島玄覚 著 嘉永7年(1854)
包帯の巻き方について書かれた医書。 各症状に対する包帯の巻き方について絵入りで解説をしています。巻末に「酔雲楼主人書」とあり、 明治時代、田町で開業していた芳村杏斎が書き写したものと思われます。
旧藩主の古希を祝う漢詩【宇田川興斎書幅】 宇田川興斎 筆 明治時代前期
津山藩松平家第8代藩主であった松平斉民(なりたみ)の古希(70歳)を祝して詠んだ漢詩をしたためたものです。 「確堂(かくどう)公」とあるのが斉民のことで、最後にある「宇興」は興斎のことです。
主を看取った津山藩医
最後の津山藩主松平慶倫は廃藩置県の直後の明治4年(1871)7月に亡くなります。
その最期を看取ったのは西洋医学を学んだ津山藩医でした。
華岡流外科を学んだ久原洪哉、宇田川榕菴の跡をついだ宇田川興斎の二人の連名で最期の数日の容態や治療について記した記録が残されています。
そこには和洋の薬などを駆使し治療している様子が見て取れます。![]()
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(大意)(松平慶倫)
新四位様はかねてより胃が弱っておられたところ、今年の夏頃からしばしば胃が鬱滞(胃腸が弱り内容物が滞る症状)されているので、種々の健胃制酸の薬を差し上げていたが、回復なされず、日を追って胃弱の症状となっている。胃を押すとカエルが鳴くような音がして、腐敗したような液が胃に滞っている。元々ご好物のお酒も近頃はほとんとお飲みにならないとお聞きしている。強いてお酒を進めると気持ち悪くなりお吐きになる。よって沸湯散、コロンボチンキなど種々差し上げていたところ、吐き気は治まりになった。近頃はお食事の量も減って、体力も次第に衰弱されてきているので、強壮薬として幾那鉄あるいは塩酸鉄チンキを差し上げ胃の滞りとしてアロエ、炭酸マグネシウム石鹸などの薬、滋養として半熟の卵、鶏のスープ、牛乳および浣腸薬など差し上げているが、とにかく先ごろ以来両三日ご衰弱になられ一同ご心配 しております。
※幾那―アカキナの木:主に南米ペルーなどの熱帯山岳地帯に分布している常緑高木。樹皮を天日乾燥したものが生薬「キナ皮」で、主成分のキニーネはマラリア原虫を死滅させることからマラリアの特効薬として有名。 また、解熱、健胃、強壮剤としての効能もある。
(大意)(松平慶倫)
新四位様は去る七月十七日より追々発熱され、うわごとも発せられるようになり、食事も取られることも益々難しくなった。日々弱ってきているので幾那エン、稀リン酸水を調合して差し上げた。 また滋養のため、鶏油と米熟汁スープ(おかゆ・おもゆのようなものか)、あるいはワイン、牛乳牛肉など様々なものも差し上げたが、とにかく食が進まない。発熱も続き便秘のため眠ることが難しいようでしたので灌腸法を施したところ、二十日の朝四時頃から十時頃までお休みになった。お目覚め後、鳩の卵ほどのものが三、四個の便通があり、七、八勺(126~144ml)のお小水が出た。後、少々食事を召し上がる。発熱は同様でうわごとは少ない。
二十一日発熱は同様で幾那エン、稀硫酸水を調合。
二十二日は脈が弱くなってきたので、幾那エンを増量し、麝香(じゃこう)と龍脳を調合して差し上げる。
二十三日に渇きが強くなり舌の上が乾燥して剥落したので、稀硫酸水、幾那エンを調合し差し上げたが、追々衰弱なされ食事もとれなくなり意識もなくなる。
二十四日いよいよ脱力状態となり、水薬を差し上げるが召し上 がることができなくなった。様々治療をさせていただいたが、効能がなく二十五日の夜八時十五分ご終焉となった。
洪哉の勤務の様子
勤向記錄 久原洪哉 嘉永6年((1853)~
洪哉が久原家を継いでからの勤務につ いて記載したもの。
明治4年に宇田川興斎と共に、慶倫(よしとも)の治療に当たり、臨終に立ち会ったことが記されています。