最終回つながる出雲街道(Ⅲ)をあるこう会(第3弾-3回)

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 2025年5月18日、出雲街道 勝山宿の会主催で、最終回つながる出雲街道(Ⅲ)を歩こう会(第3弾第3回)が開催され参加してきました。1年以上前の記憶をたどりながら、まとめてみました。
「出雲街道」を現在の真庭市を西に向かえば、美作国の久世、勝山宿、美甘宿、新庄宿、新庄宿を過ぎ、国境の最大の難所(四十曲峠)を越え、伯耆国の板井原宿、根雨宿、難所の間地峠を越えて、二部宿へと繋がります。(出雲街道 宿場名の語源由来)
 大変長きにわたり、「つながる出雲街道を歩こう会」でお世話くださった「出雲街道 勝山宿の会」の皆様ありがとうございました。言葉には出せないほどの感謝で一杯です。
(説明文:「出雲街道 勝山宿の会」発行資料より転載)

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二部公民館(受付・昼食)

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雲州松平候本陣跡

二部集落:説明役は「奥日野ガイド倶楽部」会長外2名の方で、元気一杯馴れた懇切丁寧な話振りです。

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伝燈寺(曹洞宗)
本尊:薬師瑠璃光如来、伯耆観音霊場3番札所
本陣を務めた足羽家の菩提寺である。

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つながる出雲街道(Ⅲ)をあるこう会 二部集落

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つながる出雲街道(Ⅲ)をあるこう会 二部集落

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つながる出雲街道(Ⅲ)をあるこう会

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つながる出雲街道(Ⅲ)をあるこう会

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・地蔵塚(三部集落)              六体地蔵・長瀧寺
寺の前の交差点に旅人の安全を見守っている。
・六体地蔵・長龍寺
寺の境内の道端に六体地蔵が、釈迦の没後、弥勒菩薩が出現して衆生を救済する長龍寺由来。宗旨は曹洞宗野上山長龍寺 本尊延命地蔵菩薩、西伯郡伯耆町三部にあり開山は延宝3年(1675)開祖は光岩智澮大和尚であり、開基は野上城主野上氏長龍と伝えられている。

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つながる出雲街道(Ⅲ)をあるこう会

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三部集落

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野上の郷 歴史あるまち出雲街道 西伯郡伯耆町三部

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父原公民館で甘酒の接待
担当の古南(勝山宿の会)が、日時に合わせて心を込めた手作りの甘酒で、毎回好評です。

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父原公民館前を歩く

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随分古いお墓                  つながる出雲街道(Ⅲ)をあるこう会

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つながる出雲街道(Ⅲ)をあるこう会       記念碑

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つながる出雲街道(Ⅲ)をあるこう会

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道しるべ(北道)
県道と旧街道の分岐点に、「古市壮道」と大然石に刻んだ「道 しるべ」がある。壮、古市の地名は昔の繁栄を忍ばせるが、今はどっしりとした構えの家々が名残りを見せている。

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一本松(中祖)
古市から中に入ると、古木の一本松(一里松とも言われている)がある。
石積みがあり石碑と松が植わっている、 一里塚の跡

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つながる出雲街道(Ⅲ)をあるこう会

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渡し場跡
「日野郡史」は溝口一宇代で、度たびの洪水で川舟が欠航するので、出雲一陰田一米子一天万一池野一 三部一二部の新街道ができ、文久元年(1861)から松江藩は、この道を通ったこともあると記載されている。
溝口一宇代の渡し場は、溝口の南の町外れにあり、藩営で天保11年(1840)に設置され、西岸の宇代側には岩場と大森神社があり、献燈と常夜燈がある。

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溝口郷學之跡の碑
 ここには鳥取池田藩の本陣御茶屋がありました。文久三年その建物を使って、高等教育をする「溝口郷學」を開設しました。鳥取藩や松江藩の藩校に次ぐ程の学問所でした。教師は日本三経(易経・書経・詩経)の第一人者、易経径の伊藤宜堂で、門人は因幡・伯耆・出雲・石見等の諸国から来ていました。

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神社                      溝口宿

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八幡(米子)から日野川を渡った街道は、東岸沿い溝口に入る。
安来(島根県)米子(鳥取県)に続く宿場が溝口で、日野川沿いの平野部と山間地を結ぶ中継地だった思われ、江戸以前、江戸期とも溝口は重要な宿場として、繁栄していたものと思われる。
今もかっての宿駅の面影は十分残されている。本陣は元町役場の付近と言われており、御茶屋と呼ばれた。

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お疲れさまでした。一般参加者(男性19 女性19の38名)でした。

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質問に答えてくださる石川さん

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タイムスケジュール

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出雲街道及び歩こう会について
 出雲街道とは、播磨の国姫路に端を発し、出雲の国松江に至る約215kmの古道を言う、また一説によれば松江の先、出雲大社とも言われている。
 大和朝廷が、武力で全国を平定とたのに対し、出雲は神話に登場するが如とく、平和裡に国譲りが行われ、朝廷より優遇され、鉄の産出も始まり、街道は繁栄してきました。
街道は人、物、文化を運ぶ役目を果たし、その重要性は五街道(東海、中仙、甲州、日光、奥州)に匹敵し、同等の街道として発展してきました。
 後鳥羽上皇、後醍醐天皇の配流の道として有名です。その後の街道は時代と共に、道筋は変遷と消失を繰り返していますが、 現存している道で2コース有る場合は、合理性が高いか、最も古い道を採用しています。
 当会(勝山宿の会)では、平成24年より真庭市内の「出雲街道(Ⅰ)」を8回に分割「大山みち」を6回に分割して踏破し、令和2年に国交省より「夢街道・ルネサンス」に認定され、「つながる出雲街道」と命名されたのを機会に「出雲街道(Ⅱ)」(美作市・ 勝央町・津山市)を6回に分割して、令和4年に終了しました。令和5年5月には新企画として「つながる出雲街道(Ⅲ)を歩こう会(第Ⅰ弾)」 を、鳥取県に活躍の場を求めて、実施する事が出来ました。 また前年5月はアンコールにお応えして 「つながる出雲街道(Ⅲ・2弾)を最後と称して、実施いたしました。
本年で『歩こう会」は延23回となり、中途ではありますが、終了といたします。永年(13年)に亘って、参加の皆様方お付き合い下さり有難うございました。
 最後に「街道歩き(Ⅲ)」の3回にご協力下さった「奥日野G, C」に、お礼と感謝を申し上げます。
ふるさと再発見 伯耆国歴史遺産の古道
最終回(第3弾)つながる出雲街道(Ⅲ)を歩こう会
(第3区)
二部宿(伯耆町二部)~ 溝口宿(伯耆町)距離 7.0kn
令和7年5月18日 (日) 实施、
主催:出雲街道 勝山宿の会、
共催:日野ガイド倶楽部
協力:二部活性化推進機構歴史グループ