油木北(地域別/津山市/久米地域)

村上のヒムロ ネズ(ヒノキ科)

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村上のヒムロ ネズ(ヒノキ科) 所在地/久米郡久米町油木北(2017年7月1日撮影)
推定樹齢/250年 目通り周囲/2.3m 樹高/24m
 油木北の国道429号線の北側の小高い丘の上に村上家があり、家の横の畑のほとりにひときわ高くそびえる。ネズは日あたりのよいやせ地に多くみられ各地に分布し、ネズミサシとも言われる。葉の長さ1.5~2.5㎝、針のような形で触ると痛い。
 県下でも大きいものの一つである。(文:津山地方振興局発行『津山の名木百選』より)

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岩滝様と腰淵様(油木北)旧久米町

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 油木北の岩滝様も巨岩崇拝に基づく神様で、此の地方は、弥生時代の集落址・土拡墓群、数々の古墳のあることからして、弥生時代から古墳時代、奈良平安時代へと、人里の栄えた地域で、小範囲の地域に巨岩の何個もが集まっている岩滝様のあたりは、磐境とか磐座と見立てるに恰好の条件を備えていて、神宿る聖域として祭祀が行われており、時代が降って、瀬織津姫(せおりつひめ)の神を祭神とする岩滝様が祀られるようになった。

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倭文(しとり)神社(油木北)旧久米町

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倭文(しとり)神社 大字油木北字宮山

 古来倭文郷の地主神として祀られた神様で、倭文(しとり)神社と唱えたが、中世志津(しず)大明神又は、七津(しづ)大明神と唱えられ、明治6年油木神社と改称され、更に明治10年に旧称の倭文(しとり)神社に復して今日に及んでいる。
 作陽誌には、七津明神とするのは倭文の?(太く荒い糸で織った絹織物)の名の「倭文」は志登利、あるいは志都利と讀むべきものを「都」は「ツ」とも読むので倭文をシズと読んで「七津」の文字を宛てたものだが之は誤りであるとするのである。

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少彦名神社(油木北)旧久米町

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大宗油木北字宮1608番地
 当社は古くは「赤子の宮」・「赤子大明神」・「児大明神」・「児の宮」・「児神社」等と呼ばれていたが、明治6(1873)年2月6日、北条県から「油木神社」と改称され、更に同10年現在の少彦名神社と改められたものであり、少彦名命を主神とし、油木北・油木上(以上久米町)・北・南(以上久米郡旭町)の四大字の産土神である。

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