久米地域(地域別/津山市)

古民家・倭文の郷  黒瀬家(戸脇)

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 過去、何度かイベントがあり取材させて頂いております津山市戸脇にある古民家「倭文の郷」ですが、予てから詳しく知りたいと黒瀬家をお訪ねして来ました。。(2014年)(2018年)
 「黒瀬家の詳しいルーツは解りませんが、建築当時の黒瀬家の覚書があり、建てられたのは元治元年(1864)だとわかります。」と教えていただきました。築155年の黒瀬家は、嘗て津山藩の庄屋をしながら明治初年から養蚕を飼っていたそうです。その後、財を成して明治22年より大正9年まで清酒醸造業をしていたそうで、今でも家の中には酒蔵の名残がありました。六代目黒瀬精一正勝の時代は、この他にも津山特産雲齊織を、また、柿・漆の木、孟宗竹等を植樹し、地方果樹園の起源を作ったと記されています。(2019年9月25日撮影)

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出雲街道原の旧道・息継ぎの井戸

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出雲街道原の旧道・息継ぎの井戸(原)
 追分の三差路の約100m東で国道181号線と旧国道から分岐して北側の山沿いに残る、旧出雲街道は約900mあり、原地区の明谷入り口の塞の神で国道のため消えている。道中に「息継ぎの井戸」と呼ばれる古井戸がある。(文:出雲街道の史跡と文化財 津山市大井西自治協議会編)(2019年6月29日撮影)

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六十六部供養碑と塞の神(中北上)

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 六十六部供養碑と塞の神(明谷・原)
 六十六部の供養碑は満願供養のものであり、「奉納大乗妙転六十六部供養塔」と刻まれている。塞の神は原と明谷の境にあり、旅人や地区の安全と無病息災を祈願する。天保3年(1832)建立。
(文:出雲街道の史跡と文化財 津山市大井西自治協議会編)(2019年6月23日撮影)

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西尾与九郎屋敷跡(中北上)

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西尾与九郎屋敷跡(岩屋)
 天正9年(1581)6月、宇喜多氏の支配下にあった岩屋城を毛利氏は32人の決死隊をもって「落とし雪隠」より攻め落城させた。勝利に貢献した西尾与九郎は毛利より感状(表彰状)を受けた。(文:出雲街道の史跡と文化財 津山市大井西自治協議会編)(2019年6月29日撮影)

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美作の大庄屋巡り「福山家 浜田藩(鶴田藩)」

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福山家 福山元太郎 久米北上郡里公文中村 浜田藩(鶴田藩)
大庄屋まで
 福山家の出自は明らかでない。享保2年(1717)高津神社の棟札に庄屋福山彦兵衛、天明5年(1785)中庄屋彦兵衛、寛政2年(1790)彦兵衛、文化4年(1807)中庄屋周蔵の名があり、中庄屋、庄屋を勤めていたことがわかる。天保7年(1836)久米北条郡17か村が石見国浜田藩の飛地になったとき、福山元太郎が和田北村の富田伊兵衛とともに大庄屋に任命された。
大庄屋として 
 第2次長州戦争で敗れ、城をすてた浜田藩は、慶応3年(1867)藩主が福山家に移り、鶴田藩と藩名を改めた。明治4年に桑下に西御殿ができるまで福山家は藩主の邸宅であった。

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