勝北地域(地域別/津山市)

ウッドパーク声ヶ乢のさくらが満開です。

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 2019年4月17日のウッドパーク声ヶ乢の約1200本のさくらです。
今年は、少し肌寒い日が続いたり、温かかったりと温度差の激しい年となりましたが、ウッドパーク声ヶ乢のさくらがとても綺麗に咲いています。津山城(鶴山公園)のさくらが散った後、ここに来るとまた綺麗に咲いたさくらが見えます。(2009年4月5日撮影)(2010年4月14日撮影)(2010年4月14日夜桜撮影)(2013年4月15日撮影)(2015年4月24日撮影

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植月さん宅のさくら2019

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 2019年3月25日、五穀寺さんに行く途中、綺麗に咲いている桜の木がひときわ目立っていたので撮影させていただきました。植月さんのお庭はかつて取材させていただいていたのですが、さくらの木が立派に育って可愛いピンクのお花が咲いてとても素敵でした。

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樹齢三百年の紅梅 美しさめでる参詣者

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勝北町が文化財に指定し長く保存している天然記念物部門の中に同町大吉の真言宗・五穀寺の紅梅(平成二年五月二十八日指定)があります。
 この紅梅は、寺の山門を入った左側にあり、根元の周囲は二・六m、地上一mのところで二つの枝に分かれ、南の枝が一・三m、北の枝が一・六m、高さは五mあり、樹齢は三百年(元禄時代、一六九〇年ごろ)と推定される老樹。
 寺の伝えによれば、今からおよそ二百二十年前の享保年間に、五穀寺は火災にあったといわれ、紅梅の樹齢からみて、この大火を凌いだ記念の木ともいえる。

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畝の六体地蔵(安井)

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 六体並んだ地蔵が墓地や寺の入り口に見かけられることもある。六地蔵の形式は疫病除けと塞の神信仰の結びつきという説もあるが、その後六道輪廻の信仰の主尊となったといわれる。六体の像の名称や持物・印相・六道への配置は、出典によって諸説があり一定していない。
石造六地蔵は鎌倉時代の末期頃から造られているようだが、寺や墓地に造立されるようになったのは室町時代からとも言われている。
 像容は丸彫り像や舟形光背の浮彫り像を六体並べたもの、一石に六体彫ったもの三体ずつ二石に彫ったもの、また一石一地蔵を彫り六体を並べたものなどが見受けられる。

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修験者の堂・圓満寺

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修験者の堂・円万寺 毎年8月祈祷祭続く
 勝北町坂上の国道五三号線から、北側にわずか入ったところに、カリンの大木が聳える堂が見える。土地の人からは行者堂または円満寺(円万寺)と呼ばれ、かっては苫勝霊場三六番の札所であり、数年前に改築が行われよく整備されている。この寺について「勝加茂史」には、真言宗醍醐派三宝院の末寺円万寺花王院、元禄十一年(一六九八)あるいは天明二年(一七八二)の創立ともいわれ、本尊は如意輪観音と載せられている。
 せんねんの町文化財保護委員会の調査では、木造の役行者像や数体の仏像と鋳鉄製の高さ十二cmあまりの如意輪観世音菩薩像一体があった。この観音の台座には、施主流郷重郎右衛門・全吉左衛門・全株内、冶工作陽柱百済清治郎藤原正邦作の銘があり、施主名などから江戸時代末期ごろの作品と思われる。

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梅の木神社(羽賀)

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腹痛の神として信仰 病の武将助け祀る
 勝北町羽賀の公会堂横に「梅の木神社」という小さなお社がある。この神社いわれは口伝えで定かではないが、遠く戦国時代、群雄が割拠しその攻防の争いはこの近辺でも繰り広げられた。その頃のある日、戦いに敗れ手傷を負った一武将がこの地へ落ちのびてきたそうである。
 それをこの土地の人が気の毒に思って懇ろに介抱したが、その甲斐もなく亡くなってしまった。人々は、哀んで手厚く葬り、小さなお社を建て一本の梅の木を植えて供養したと言う。

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山の神(原)

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 「春に山より下りてきて田の神になる山の神は五穀豊穣をもたらす農耕の神であり秋終りにはまた山に帰って山の神となる。」とも言われ山村に住む人たちの信仰する山の神の呼び名があり、ダンナサマ・ジュウニサマ・サガミサマ・ノタガミなどとも呼ばれている。
 石造としては祠の物が多くあるが、自然石に「山神」「大山祗命」などと彫ったものが各地にもある。

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天狗供養塔(西上)

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 西上の山形仙のふもとに天狗供養塔の石碑がある。この天狗供養塔は昔鞍馬山に住んでいた天狗(修験者)が、この西上の地に舞い降り無病息災を祈願し暮らしていた。
 時が過ぎて天狗の話も薄らいでいたが、ある時土地の住民が家を建てて暮らしていると、主人が病にかかり祈祷師に拝んでもらうと「この家の下に鞍馬から来た天狗が居り、自然石で供養塔を立てなさい」とのお告げがあったと言われさっそく供養塔を建てると主人も良くなった。 
 天狗の命日には(旧暦一月十八日)主人が拝んでいたそうだ。また、供養塔の下には般若心経の一字一石の文字を書いた石を埋めてあるとも言われている。

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五輪塔(安井)

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 石造遺物の中で一般的に良く知られているのがこの五輪塔である。五輪塔は仏教の五大思想の教えによる宇宙観を表し、地・水・火・風・空の五つから成り、始めは密教の塔として現れたが、後に広がりを見せて全国的に分布している。
 時代の見方としては初期のものは円形(水輪)の作りがおしつぶされた形をし、全体的に安定感を感じられる。
 鎌倉時代後半より大形の五輪塔が現れるが、その後室町時代に入ると小形なものが数多く造られるようになる。
 埋葬地の上に建てる石塔を墓塔というが、五輪塔は本来堂宇の落成仏像の開眼時の供養のために建てられたものが、時代が下がるにしたがい墓塔化するようになってくる。
 室町時代に一石で造立されたものを一石五輪塔と呼んでいる。なお慶長年間あたりまでは一石五輪塔の造立は続くが江戸時代に入ると消滅してくる。

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地蔵菩薩(原・大西)

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 地蔵菩薩と呼ぶより「お地蔵さん」と言って親しまれている。地蔵が六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)を巡って衆生を救うという信仰に基づくもので、石の地蔵さんを全国各地で見かける事ができるのは、庶民の広い信仰を物語っている。
 像容は比丘形といって剃髪頭で、如来と同様に衲衣(ころも)をまとい、右手に錫杖・左手に宝珠の姿が一般的であるが合掌像もある。
 彫り方は丸彫り・浮彫り・線彫りがあり像容には立像・坐像がある。鎌倉時代になってから各地で造られるようになり、江戸時代になると現世利益を念願とする民間信仰と合流し、現在に見られるような多様な地蔵が各地で信仰されるようになった。
 俗称で呼ばれている地蔵は多種であり願望が延命・治病・息災・安産・育児・豊作と多岐にわたり、また地蔵と子供のつながりは古くから子供守護としての結びつきも深くある。

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