大渡新田の碑・三村の界栗・千代のいわれ(坪井)
大渡新田の碑(坪井駅前国道の南側)
文化年間(1804~1817)坪井駅のあたりを「大渡」とい、南方村と坪井下村の村境であった。
当時は雑木や籔の荒れ地であったが、福本・池田等8人の力により開墾が行われた。
その2~30年後、美田となって完成した。大渡新田は、水旱(大水や日照り)災い無く五穀豊穣であったが、その下流の住民と灌漑用水を巡って、訴訟沙汰があったと伝えられている。天保8年(1837)に建立されている。
大渡新田の碑(坪井駅前国道の南側)
文化年間(1804~1817)坪井駅のあたりを「大渡」とい、南方村と坪井下村の村境であった。
当時は雑木や籔の荒れ地であったが、福本・池田等8人の力により開墾が行われた。
その2~30年後、美田となって完成した。大渡新田は、水旱(大水や日照り)災い無く五穀豊穣であったが、その下流の住民と灌漑用水を巡って、訴訟沙汰があったと伝えられている。天保8年(1837)に建立されている。
2020年12月5日、津山市中北上ある曹洞宗澤龍山 少林寺の境内に飾られたイルミネーションを見に行ってきました。着いてみると先に見学に来られた方々が「わぁ~きれい!」と歓声をあげておられました。
このイルミネーションは、喬松小学校3年生が自ら考えた地域貢献プロジェクト「地域を明るくしようプロジェクト」だそうです。イルミネーション・花ロウソク・竹灯籠を点灯して、みんなの心を和ませたいと、児童と地域とお寺が連携して一緒に手作りした灯だそうです。コロナ禍の世の中で人々の心が暗くなりがちですが、拝見して心がほっこりしました。ありがとう。
祭神は産土荒神で、地元の氏神様として毎年11月に甘酒祭が行われている。
(文:出雲街道の史跡と文化財 津山市大井西自治協議会編)(2019年6月29日撮影)
六十六部供養碑と塞の神(明谷・原)
六十六部の供養碑は満願供養のものであり、「奉納大乗妙転六十六部供養塔」と刻まれている。塞の神は原と明谷の境にあり、旅人や地区の安全と無病息災を祈願する。天保3年(1832)建立。
(文:出雲街道の史跡と文化財 津山市大井西自治協議会編)(2019年6月23日撮影)
西尾与九郎屋敷跡(岩屋)
天正9年(1581)6月、宇喜多氏の支配下にあった岩屋城を毛利氏は32人の決死隊をもって「落とし雪隠」より攻め落城させた。勝利に貢献した西尾与九郎は毛利より感状(表彰状)を受けた。(文:出雲街道の史跡と文化財 津山市大井西自治協議会編)(2019年6月29日撮影)
八十三番札所明谷の堂(明谷)久米苫田八十八ヵ所霊場 本尊は地蔵菩薩。
左側が 八十三番札所明谷の堂です。(文:出雲街道の史跡と文化財 津山市大井西自治協議会編)(2019年6月29日撮影)
関様・牛神様(明谷)
関様は美保神社(恵比寿様)の福の神、田の虫よけの神、牛神様は家畜の守り神。
(文:出雲街道の史跡と文化財 津山市大井西自治協議会編)(2019年6月29日撮影)
妙見宮・地神様(明谷)
妙見宮は北極星を祀った北辰妙見宮で無病息災、家内安全、五穀豊穣を司る神。(文:出雲街道の史跡と文化財 津山市大井西自治協議会編)(2019年6月29日撮影)
北酒造場跡(岩屋)
安政5年(1858)創業。「清酒岩滝」は岩屋城の山王宮の岩滝より命名。昭和5年転業まで70有余年地域の人々に愛された。(文:出雲街道の史跡と文化財 津山市大井西自治協議会編)(2019年6月29日撮影)
坪井駅(つぼいえき)は、岡山県津山市中北上にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)姫新線の駅である。相対式ホーム2面2線を持ち、行違い可能な地上駅で、両ホームは津山方の構内踏切で結ばれている。津山駅管理の無人駅で、自動券売機の設置もない。以前は駅舎があったが現在は駅舎はなく、両ホームに小さな待合所が設置されており、新見方面行きホーム側に入口がある。保線車両用の引き込み線がある。