
津山の今昔を辿ってみました。(1)

明治時代に「押入」と「小原」に温泉があった。

アルネが出来る前の五番街附近

今(2015)から約20年~80年前の津山市内の様子

神崎家は備前和気郡の出身。浦上家の同族と伝承される。祖父三郎兵衛茂範が森藩の値段奉行となり津山南新座に移る。
神崎与五郎則安 赤穂浪士四十七士の一人(竹平と号す)
父 又市光則(後半右衛門と改名)値段奉行十三石三人扶持
元禄3年(1690)ごろ浪人し黒土に移住、寺子屋を開く
母 先妻死後、勝間田下山六郎兵衛の娘
寛文6年(1666)津山で生まれ津山藩に仕え父と共に藩を辞し黒土に移る。年代は不詳であるが五 両三人扶持五石(役料)
父墓碑 本然院理空猶水居士
享保2年(1717)8月2日 光則・光隆建之
母墓碑 悟心妙徹信尼
享保15年(1730)9月8日 妻76才 光隆建之
「光隆」については諸説あるが与五郎の弟と推定される。
昭和61年3月 勝央町文化財保護委員会・勝央ライオンズクラブ(文:案内板より)(2016年2月3日撮影)
御親切に案内くださいました。
神崎家墓地(現在は下山さんがお祀りしているという)(勝央町黒土702-3)
父母の墓
神崎与五郎則安の両親の墓 屋敷跡の一部
広大な屋敷があったそうです。