![津山の今昔を辿ってみました。(1)](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2015/01/miyagawa-thumb-120x120-91196.jpg)
津山の今昔を辿ってみました。(1)
![行啓道路(津山市山下)](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2015/07/800%E8%A1%8C%E5%95%93%E9%81%93%E8%B7%AF-thumb-120x120-91204.jpg)
行啓道路(津山市山下)
![新高倉稲荷神社(西今町)](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2015/06/imamachi6-thumb-120x120-91487.jpg)
新高倉稲荷神社(西今町)
![アルネが出来る前の吹屋町界隈の写真](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2017/03/800px3177-thumb-120x120-162131.jpg)
アルネが出来る前の吹屋町界隈の写真
![明治時代に「押入」と「小原」に温泉があった。](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2015/01/1-thumb-120x120-91748.jpg)
2016年4月24日、「狩野久先生と巡る飛鳥の旅」と題して、奈良県明日香地方を訪ねてきました。
今回は、盛りだくさんの行程の中で最後となる藤原宮跡の様子です。
特別史跡 藤原宮跡(奈良県橿原市高殿町外)
史跡指定 昭和21年11月21日 特別史跡指定 昭和27年3月29日
藤原京は、持統天皇八年(694)から和銅三年(710)まで、持統・文武・元明天皇三代にわたる都でした。藤原宮はその中心部にあり、現在の皇居と国会議事堂、および霞が関の官庁街とを一か所に集めたようなところです。大きさはおよそ900メートル四方、まわりを大垣(高い塀)と濠で囲み、各面に三か所ずつ門が開きます。中には、天皇が住む内裏、政治や儀式をおこなう大極殿と朝堂院、そして役所の建物などが建ち並んでいました。
藤原宮大極殿跡
大極殿は、重要な政治や儀式の際に天皇の出御する建物です。赤く塗った柱を礎石の上に建て、屋根を瓦で葺くという、日本では最初の中国風の宮殿建築でした。建物の柱間は正面九間(45メートル)、側面四間(20メートル)、基壇を含めた高さは25メートルをこえ、藤原宮では最大です。現在は基壇の跡だけが残り、「大宮土壇」と呼ばれています。昭和10年(1935)に、日本古文化研究所がこの土壇を発掘調査し、藤原宮解明端緒となりました。(文:特別史跡 藤原宮跡説明板より)
藤原宮大極殿跡
天香具山
天香具山
大和三山の絶好の眺望スポットでもあり、藤原宮跡からの大和三山の稜線の眺めは「重要眺望景観」に指定されているそうです。
耳成山を望む 畝傍山
現地案内板