「西村式試作プラネタリューム投影機」が国立科学博物館の「未来技術遺産」に登録されました!

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 2021年10月、つやま自然のふしぎ館(津山科学教育博物館)が所蔵する「西村式試作プラネタリューム投影機」が、国立科学博物館の「重要科学技術史資料(未来技術遺産)」に登録されました。
 未来技術遺産とは、独立行政法人国立科学博物館によりその保存や活用を図るために選定・登録された日本の産業技術や科学技術の発展を示したり、国民生活・経済・社会・文化の在り方に顕著な影響を与えた科学技術史資料です。
「西村式試作プラネタリューム投影機」は、プラネタリウムの国産化が始まった1950年代に製作された、国産プラネタリウム草創期の資料としてその重要性が認められ、未来技術遺産に登録されました。京都の望遠鏡メーカー西村製作所の西村繁次郎氏(1910~1992)に依頼して特別に製作されたものであり、西村製作所が制作した唯一のプラネタリウム投影機です。
〝試作〟となっているのは、西村氏が依頼を受けるにあたり「初めて造るものなので、製品として世に出す自信はないが、試作ということであれば」という条件で承諾をされたためです。この投影機は1967(昭和42)年~1990年代の初め頃まで当館で使用されていました。
 現在つやま自然のふしぎ館ではプラネタリウムの投影及び投影機の公開はしておりませんが、御希望があれば投影機の見学は可能です。ただし、事前にその旨ご連絡ください。


西村式試作プラネタリューム投影機についての沿革
1957年:森本慶三(1957~1964)は兼ねてから自然史の博物館にプラネタリウム投影を計画しており、西村製作所の西村繁次郎氏(1910~1992)に製作を依頼。
1963年11月:森本慶三は自然史の総合博物館「津山科学教育博物館」(現つやま自然のふしぎ館)を創設、開館した。
1964年10月:森本慶三没
1967年2月:西村氏による試作1合機が10年の歳月を経て完成、津山科学教育博物館に納入された。
当時の博物館館長森本謙三は、慶三の意志を継ぎ、津山科学教育博物館の施設として本プラネタリウム館を開設、公開した。
1980年10月:プラネタリウム館の一般公開を中止。(その後投影機は自然のふしぎ館にて保管、現在に至る)

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西村式試作プラネタリューム投影機(登録番号第313号)
 津山科学教育博物館(現つやま自然のふしぎ館)の初代館長「森本慶三」からプラネタリューム投影機の製作を依頼された西村製作所の西村繁次郎は、大阪市立電気科学館にあったカールツアイスⅡ型プラネタリューム投影機を参考にする為、10年の歳月を費やして試作投影機を完成させた。
本物は、恒量がレンズ投影式で、惑星投影機がプリセット式のため年周運動が出来ない等の問題があったが、試作品として当博物館に設置された。
1980年頃までは津山市民に公開投影されていた。
本機は、西村製作所が製作した唯一のプラネタリューム投影機であり、国産プラネタリウムの草創期の資料として大変重要である。
所有者(管理者)つやま自然のふしぎ館
製作者 株式会社 西村製作所

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プラネタリウム投影機コントロールパネル

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 昭和42年に開館された津山科学教育博物館のプラネタリウムは、現在の津山観光センター駐車場にありました。
 ドーム内径は8m、高さ6m、座席数90席、音響装置、冷暖房装置を備え、鉄骨製の四角な外壁で全体をつつみ、らせん階段で屋上にのぼれるようになっていました。
 前室には映写室を兼ね、当プラネタリウムの前身である津山基督教図書館4階天井にあった直系2.5mの手動式大星座早見盤(大正13~15年製作)がとりつけてあった他、各種天文資料が展示されていました。

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国立科学博物館の「重要科学技術史資料(未来技術遺産)」に登録