〔谷崎潤一郎〕水島呉服店さんとのエピソード

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 水島節子さんからお聞きしました。「勝山には、こっくりさんに聞いてから来たそうですよ。終戦前に来られたときは着物を着流しで歩いていたので当時は珍しく、また、おいしい物が好きな方だったそうです。」
 「ここからピアノの音が聞こえたので、谷崎さんが尋ねて来られたのが最初で、その後、姑がご馳走を作っておもてなしをしていたようです。また、谷崎さんはここの2階でも時々執筆していたようで、子どもが変なおじさんが来たら、だまらんといけん!と言っていたそうです。」今は息子さんの代で水島呉服は止めて司法書士事務所になっています。


 節子さんの姑で故水島芳子さんが谷崎一家を助けたことは有名です。
「水島家に谷崎さんのお気に入りの中之庄谷美智子さんが居たことも大きな要因ですが、水島芳子さんという心の大きい人が居なかったら勝山での谷崎家は随分困ったには違いない。」と見せていただいた雑誌コピーに書かれてあった。
食料だけではなく、水島芳子さんの太っ腹な大らかさが谷崎家に貢献したのです。(2012.5.13取材) 谷崎潤一郎とは


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谷崎潤一郎さんと最後の夕食風景(半そでの男の子が節子さんの亡きご主人)
谷崎さんの奥様はこっくりさんやあみだがお好きだったようです。
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今でもそっくりそのまま残っています。
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最後の夕食の時の食卓にしたテーブルです。
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水島節子さんに、先代の遺影と写真や資料を見せていただきました。
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谷崎潤一郎さんはここの二階でも時々執筆していたそうです。
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家は古木屋と呼ばれていたそうです。(高瀬舟のまとめ役だったのでは?)
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水島家は舅が事業家だったので、当時1,000円~2,000円で家が建つとき20,000円かけて造った家だそうです。
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柿の1枚板の床と天井が豪華です。
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中庭です。
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当時のものでしょうか?古いたんすがずらりと並んでいます。
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◎勝山の人は、茶盆を持って歩くと言われるそうです。
お客様が来られたら、常にお盆を持って迎える。それ程接待好きと言う意味です。
お母さん(姑)は問屋さん等老若男女、誰が来ても「お茶飲んで行きなさい。」と言う人だった。「松子婦人からお誘いがかかったのだけれど格が違うと断った。今から思うと行けばよかったと思う。」と笑って応えてくださいました。
◎「姑(水島芳子)はとても良い人で、私もとても良くして貰いましたし、大好きでした。」そこで、水島さんに姑と嫁が仲良くするコツをお聞きしましたら、「あまり無理なことはいわんこと!そして、感謝しあうこと!」今は40年続けている筝が生き甲斐になっていると教えていただきました。