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秘史後南朝の里・高根を歩く「如意輪観音寺跡」

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秘史 後南朝の仙洞御所の地、高根について「如意輪観音寺跡」貞和3年の石造(宝塔)
 酒本武都主氏の親切な道案内により、その幻を求めて歩きました。翌日の令和3年6月4日地区に古い物が多くあることを知ったことにより、せめて石造物の文字だけでも正しく読んでみようと、独り調査に入った。この日私的には大変なものを確認できた。
 地元では先人達が、「高仁山長福寺境内 如意輪観音寺跡」と言われる場所には宝塔(仮)があり、それには(判読)「貞和三丁亥天〇〇(1347) 願主 万門」と彫られていることに気づいた。
 これは町内で重要文化財指定されている
  間 山  四角宝塔康永3年(1344)
  一本松  如意経塔延文6年(1361)
  東光寺  油地蔵 康暦2年(1380)県指定
 この中では二番目のものである。手水鉢には昔は髙仁であったとも奉納者が示していた。
 かつて秘史を語ってきた人達は以上のことを知っていたのでしょうか。詳しくは後日の調査を待つことにして地元区長へ中間報告することとした。参考文献:『博士 川勝政太郎著 石造美術入門・同 石造美術の旅』より(文:勝央町文化財保護委員会 委員長 赤木耕三)

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2021 七福神もちつき 縁起年の瀬市

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 「七福神もちつき 縁起年の瀬市」が、2021年12月18日(土) 10:30 〜 15:30がソシオ一番街にて催されました。この催しは、津山市周辺の県北東部に七福神をまつる寺があることから、寺の住職が開運や疫病退散を祈願しておはらいをします。また、地元の地域おこしのグループなどが、新年に向けて開運と疫病退散の願いを込めた餅つきも行われました。
 それに、丁度この日、美作学園が運営する「みまっぱぷらざ」が京町55にオープンして学生たちのセレモニーや踊りのパフォーマンスがあり更に賑わっていました。(営業日:木・金・土・日の週4日、営業時間:11:00~17:00)だそうです。(2020年の様子)

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作州忍者鶴山隊の活動の様子

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 「七福神もちつき 縁起年の瀬市」が、2021年12月18日(土) 10:30 〜 15:30がソシオ一番街にて催されました。この催しに急遽お呼びがかかり、馳せ参じた作州忍者鶴山隊は催しを盛り上げるため、食べたり、買ったり、会場内を回り子どもたちとの撮影に応じたりと大活躍でした。
 この催しは、津山市周辺の県北東部に七福神をまつる寺があることから、寺の住職が開運や疫病退散を祈願しておはらいをしたりする催しで、地元の地域おこしのグループなどが、新年に向けて開運と疫病退散の願いを込めた餅つきなどをして市民との交流を深めました。

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瑠璃山 勝功徳院 蓮花寺(美作市)

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瑠璃山 勝功徳院 蓮花寺(れんげじ)
 天平10年(738)に開山されるも、度重なる兵火による消失、その後再建を繰り返し今日に至ります。延宝2年(1674)、今より少し上の御堂ヶ岡より現在地に移し、安政3年(1856)石垣等境内が完成しました。
 「御堂ヶ岡より四方を眺めて山形あたかも八葉の蓮花に彷彿たりの故に寺号とす。本尊薬師如来の霊験効しきにより、瑠璃光如来の義を執りて山号となす」といわれています。
 昭和62年、現在の本堂、庫裏を建立しました。平成3年梵鐘を新鋳し、併せて石段の改修、四国八十八ヶ所霊場の整備を行いました。
 この石段は山門までの33段、さらに本堂3段、鎮守堂6段を参拝することによって、男女の厄除けを祈願する階段となっています。昭和9年大師入定1100年御遠忌を記念して、蓮花寺の裏山一帯に寺や集落を取り囲むように四国八十八ヶ所霊場を勧請し、遍路道が開創されました。その後、耕作放棄地の増加に伴って遍路道の荒廃が進み、参拝が困難となったため、寺の東方市道沿いに集祀して巡拝の便を図ることにしました。
 本堂の裏山を利用した、江戸前期の技法による枯山水の庭園があります。枯れ滝の滝口には仏教的思想が取り入れられた三尊石があり、その中心は不動石となっています。また泉水には長寿、吉祥を表す生き物とされている鶴、亀が石組によって表現されています。(文:『高野山真言宗美作霊場めぐり』より)(2021年9月19日撮影)

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天龍山 慈眼院 遍照寺(美作市)

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天龍山 慈眼院 遍照寺(へんじょうじ)
 古くから境内を含む地域を寺土居と呼ばれていました。その昔より一庵がありましたが、明治初年になって廃寺になりました。しばらく荒廃していましたが、この因縁を深く感じたた井上隆忍尼僧により、昭和8年8月8日、美作遍照教会として設立されました。
 以来、弘法大師の霊場として、近隣の地域の方々から親しく「山口のお大師さま」として信仰されています。
 ご本尊の弘法大師さまは、今にも立ち上がって私たちをお救い下さる、そんな様相をされています。参拝される方々に等しく平安で、心安らかに暮らせるよう導いて下さるお大師さまです。
 昭和33年5月に、遍照寺として名称を変更し、現在に至っています。
(文:『高野山真言宗美作霊場めぐり』より)(2021年9月19日撮影)

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慈恩山 寶積院 普門寺(美作市)

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慈恩山 寶積院 普門寺
 当山は、承久2年(1220)に、僧快運によって開創されたお寺です。
 初めは峠村(現在の美作市川北)にあったと伝えられ、また、市内藤生字宮の向こうにも普門寺の碑が数基残っています。元禄10年(1697)の記録には、川崎邑慈恩山普門寺云々とあります。これからみますと開基以来、盛衰を繰り返し、峠村から藤生を経て、川崎(現在の美作市江見)へ三転したものと思われます。
 本堂は、寛延2年(1749)に中興し、明治34年に再建されていましたが、平成17年に本堂に位牌堂を併設したものを新築し、周辺設備を終えました。
 庫裡は昭和55年、客殿は昭和12年、鐘楼は明治2年に再建、鐘は昭和21年に再鋳したものです。(文:『高野山真言宗美作霊場めぐり』より)(2021年9月19日撮影)

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美作の大庄屋巡り「近藤家」(真庭市)

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近藤家 近藤忠左衛門 大庭郡上河内村 森藩~松平藩
大庄屋まで
 津山市宮尾の近藤家に残されている『始祖伝』によれば、近藤三郎が高田城主三浦氏に仕えたという。その後宇喜多氏に仕え、宇喜多氏滅亡後、上河内村に帰農し、森藩により大庄屋に任命された。
大庄屋として
 享保12年(1727)、松平家が5万石に減封されたときに大庄屋を解任されたが、山中一揆の記録に、大庄屋近藤忠左衛門の名がある。文化14年(1817)、松平藩が10万石に復帰した時、再び大庄屋となり明治まで勤めた。

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誕生寺の逆さイチョウ

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 2021年11月 久米南町誕生寺境内の法然上人ゆかりの大イチョウが黄色く色づいていました。
 浄土宗の開祖・法然上人の生誕地とされる岡山県久米南町里方の誕生寺で、町天然記念物「逆木(さかき)のイチョウ」が見頃を迎えていました。法然上人お手植えと伝わる、推定樹齢850 年の大イチョウは、別名「逆木公孫樹」と呼ばれています。
 大イチョウの紅葉は立ち寄った時には残念ながらすでに散り始めていました。その他、園内では大輪の菊が展示してありとても奇麗でした。

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松栄山 長正寺(美作市)

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松栄山 長正寺(ちょうしょうじ)
 本堂の峻険な屋根が目を引きます。
 元々当所には、鎌倉時代中期に建立せられた比丘尼寺があり、桃山時代初期まで近くの大庵寺、後釈寺と並んで繁栄していました。
 天正7年(1579)、三星城主の後藤勝基が戦火に追われ大庵寺で自刃し、家臣の浮川将監も後を追って殉死しました。その妻が勝基と将監を弔うため、出家し理月妙智尼となり、焼失した大庵寺、後釈寺を取り立て、松永山長正寺を興したといわれています。その子勝吉も出家し、僧慧心となり、住職となりました。
 本尊聖如意輪観音は行基作といわれ、脇立の阿弥陀仏、不動明王、毘沙門は同じく行基、あるいは慧心作といわれています。  
 例年8月18日夕に、施餓鬼供養祭とともに、大数珠回し、盆踊りが行われ、地域の老若男女により賑わいます。
 近年檀信徒の切なる願いをもって、長寿ぽっくり観音を祀り、10月の末の日曜日に、大祈願祭を行っています。(文:『高野山真言宗美作霊場めぐり』より)(2021年9月20日撮影)

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永慶山 寶持院 光明寺(美作市)

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永慶山 寶持院 光明寺
 当山は、天平15年(743)に行基菩薩によって、当時の勝北郡矢田邑高岸(現在の美作市矢田)に開創されました。承元2年(1208)に、現在の美作市和田(当時の勝南郡和田村)に移転しました。
 矢田高岸の寺跡には、池や井戸などがあり、今でも当時の面影を残しています。
 当時の山号は、随喜山と称していましたが、後に永慶山と改称しました。
 熱心な檀信徒の厚い信仰と菩提心により、平成13年の本堂に引き続き、23年の庫裡と、次々に伽藍が整備されました。近隣に類をみない荘厳・雄大な建築です。境内には樹齢250余年の山茶花(白色)の古木があり、裏庭には樹齢30~40年の藪椿(樹高5~6m)が約200本あり、満開時は見事です。
(文:『高野山真言宗美作霊場めぐり』より)(2021年9月19日撮影)

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