美作の大庄屋「大寺家」(美作市)
大寺家 大寺三郎左衛門 英田郡土居村 森藩
大庄屋まで
大寺氏は、鎌倉時代の末から英田保の地頭だった安東氏の一族であるという。安東系譜によれば、寛永年間(1624~1644)に大寺伝右衛門が、大庄屋を勤めた。
大庄屋として
寛文4年(1664)伝右衛門の孫三郎左衛門は不都合があったとして大庄屋を罷免され、家屋・所有地をすべて没収されたといわれる。
その翌年に山外野村の安東三郎兵衛が大庄屋に任命された。
大寺家 大寺三郎左衛門 英田郡土居村 森藩
大庄屋まで
大寺氏は、鎌倉時代の末から英田保の地頭だった安東氏の一族であるという。安東系譜によれば、寛永年間(1624~1644)に大寺伝右衛門が、大庄屋を勤めた。
大庄屋として
寛文4年(1664)伝右衛門の孫三郎左衛門は不都合があったとして大庄屋を罷免され、家屋・所有地をすべて没収されたといわれる。
その翌年に山外野村の安東三郎兵衛が大庄屋に任命された。
岡山県久米郡美咲町にある高野山真言宗凖別格本山二上山蓮華院両山寺で、33年に一度の御本尊開扉法会、七十七世住職晋山式、伽藍整備事業記念式典が2022年4月30日と5月1日の2日間開催されました。稚児行列が華を添えての練供養、久米郡美咲町一宮神社の獅子練(県指定重文)や大道芸人チャーリーさんのイベントも開催され、賑やかな祭典でした。
また、5月1日~5月29日まで、ご本尊ご開帳は自由参拝でした。(文:写真:金田稔久さん)
津山宿(城下町)
古代より出雲と大和朝廷を結ぶ道は、重要な路線として開けていましたが、街道としての整備が整ったので、和銅6年(713)吉備より分離され、美作の国として独立し、以来 津山は国府を有し、美作の中心地として栄えてきました。
街道は多少の変遷を重ねてはおりますが、播磨より県内に入るには、杉坂峠を通る道が古道でした。この道に変化が起こるのは、慶長8年(1603)森忠政が藩主となり、入国以来であり、江戸幕府の命で始まった参勤交代のため、街道の整備に当たらせたもので、当所は出雲往来、出雲往還と呼ばれ、近代になり全国的に街道と、呼び名が統一されて出雲街道と呼ばれるようになった。
慶長8年2月美作の国18万6500石の所領を授かった、森忠政は3月に院庄の構城跡に館を築き、城の選定を急ぎ、最終地として「鶴山」と決め、吉井川と宮川を見下ろす鶴山を城地と定め、土地名称を「津山」と改めた。秋には徳守神社を総鎮守として造営した。
元禄10年(1697)四代藩主長成病死のあと、五代藩主として江戸へ発った関式部衆利が発病し、8月森家は改易となった。
元禄11年正月、松平備前守長矩は美作国津山城を受領し、10万石の領主となり以後危機もあり、所領も5万石になったりしたが、その後は増加に転じ明治の維新を迎える。津山は今も昔も作州の中心である。(「出雲街道(Ⅱ)を歩こう会」第5区 No.1からのつづき)
特別企画(第5弾)出雲街道(Ⅱ)を歩こう会(第5区)
久米(ふれあい学習館)~津山(市役所)間7.0km(実質8.0km)
令和4年(2022)5月15日(日)実施
今回の「つながる出雲街道(Ⅱ)」を歩こう会は、特別企画 第5弾として久米(ふれあい学習館)より津山(津山市役所)までを、逆に西から東へと主催「勝間田宿の会」と共催で、「城西まちづくりの会」と「勝山宿の会」で歩きます。
「勝山宿の会」では平成24年より、真庭市内の「出雲街道(7回)・大山みちを歩こう会(6回)」を踏破して、国交省より「夢街道ルネッサンス」に認定され「つながる出雲街道」と命名され、東部(美作市・勝央町・津山市)に活動の場を求めて、歩こう会を開催し、次回10月23日は第6弾(最終回)となります。
群馬県在住の画家 金原寿浩(ジャスミン)さんが、墨や木炭を使って描いた東日本大震災や沖縄の基地問題などをテーマにした絵画を中心に48点が、第一会場「NishiIma25」と特別第二会場「Nishitera no 蔵」で6月12日まで展示されています。
特別第二会場「Nishitera no 蔵(片山家の元米倉)」で展示されている「ふるさとをかえせ」は、東日本大震災で被災した福島県の海岸線を背景に、除染廃棄物が詰められた袋が木炭などで描かれた、高さおよそ1m40cm、幅9mの大作があります。
金原寿浩(ジャスミン)さんは、「2008年から2016年まで毎年最低1ヶ月沖縄滞在して制作をしていました。歴史的なことは知識はあったけれど、沖縄を訪れると否応なしに見えてきました。戦跡も多いですし沖縄には出版社が沢山あり書籍が山ほどあります。
また、原発は要らないし危険だと認識してましたが、東日本大震災であそこまで壊滅する想像は出来ませんでした。想像の甘さを実感しました。」と話されています。
2022年5月18日に津山市領家にある甲本通晴さん宅のバラ園をお尋ねしてきました。ここのバラは約320種あるそうですが、今年は可愛い草花も沢山お目見えです。
昨年は甲本さんが体調をくずし、バラのお手入れもままならなかったのですが、今年は元気になりバラづくりに精を出されたそうです。「今年は綺麗に咲いたので見てください。」と笑顔で話されていました。また、ここのバラは四季咲きで、10月頃まで楽しめるとのことです。(2021年の様子)(オープンガーデンで誰でも無料で見ることができます。)
春はつやまの観光キャンペーンの一環として、津山郷土博物館において企画展示「江戸一目図屏風実物展示」を開催する運びとなりました。江戸一目図屏風は津山藩のお抱え絵師鍬形蕙斎が描いた江戸の鳥瞰図で、今回はその実物を展示します。本屏風は県指定の重要文化財である大変貴重な作品で、今回は平成29年度以来の実物展示になります。また、描かれている視点が、東京スカイツリーからとほぼ同じということで、同展望デッキに複製が展示されていることでも有名です。あわせて蕙斎のほかの作品も展示しておりますので、この機会に蕙斎ワールドをご堪能ください。
また、先般津山藩松平家に伝わる甲冑「朱漆塗本小札啄木糸威胴丸具足」が岡山県重要文化財の指定を受けましたので、あわせて皆様にご披露させていただきます。江戸時代初期の特徴を残す貴重な甲冑ですので、あわせてご覧下さい。令和4年4月1日 津山郷土博物館
2022年3月30日の千光寺の満開のしだれ桜の様子です。(2014年4月2日の千光寺のしだれ桜)
25日にも様子を見に来ましたが、ここの所の温かい気温で一気に咲き出しあっという間に満開になりました。3月27日夜からはライトアップされています。(日没から9時まで)(2010年3月24日)
また、千光寺の境内には沢山の椿の木が植えてあり見頃になっていますので併せてご覧下さい。(2014年4月1日の千光寺の椿の花)
大正ロマンあふれる町、城西(重要伝統的建造物群保存地区)では、3月3日(木)~4月3日(日)の期間中、津山まちの駅城西と周辺(旧出雲街道)には津山ねり天神、大正時代のお雛さまと250を超える手作りのつるし飾りとカラフル提灯が飾られます。寺社の建ちならぶ街並みの散策とともに、城西をお楽しみください。
城下町津山には、各家庭で代々受け継がれてきた雛人形・雛飾りがあります。
しかし、かつてのように「雛まつり」を祝う家庭が少なくなり、せっかくの素晴らしい雛人形や雛飾りの多くが仕舞われたままに...。そこで、そんな「お雛さま」を玄関先や店舗のショーウインドウで展示し、街巡りをしながら津山の歴史や文化を体感してもらおうと始まったのが「津山城下町雛めぐり」です。(文:「津山城下町雛めぐり」HPより)(2022年3月10日撮影)
2022年2月25日(金)~27日(日)まで佐良山公民館において、佐良山景観展「残したい美しい佐良山の四季」があり行ってきました。絵画や、他地域の懐かしい写真、寺岡健作さんの遺作品コーナーなどが展示してありました。また、佐良山小学校5年生の給食川柳「給食は寒い時ほどおいしいな」「大好きだよ からあげ さかな デザート」「おいしいな いつもたすかる ありがとう」「ラーメンの おあじがいいね つづけてね」等々の可愛い句に思わずほっこりしました。(撮影:2022年2月26日)