瀧神社(勝田郡奈義町)

taki3.jpg

瀧神社沿革(取材2014.7.27)
一、由緒
 今から約千三百年前の白凰年間 藤原鎌足の孫 武智麿呂が中国地方平定のため御神託を受け紀州熊野権現を勧請し社殿を建てたと伝えられ 爾来北野村東西と近藤村の氏神として崇められてきた
 近世美作の国津山城の鬼門の守護神として森公の信仰厚く鳥居や石の宝殿が寄進されている
 明治の末頃までは「お瀧参り」とよばれ 作州全域から多くの参拝者があり 旧八月十五日の例祭には 日本原から続く松並木の参道は人の列でにぎわい 売店 見世物が並んだ
 大正十二年郷社の格が与えられ また三十三年毎の御開帳祭は今に伝えられている

taki1.jpgtaki2.jpg

二、遙拝所
 本社は当地より三粁北方瀧山の中腹 原生林に囲まれた岩屋山の岩室に祀られ奥の院から
母御の瀧に続く岩間の清浄な霊地にある
 明治四十二年瀧山山麓一帯が陸軍演習場に設定され 近藤村の氏子は余儀なく移住することとなり 従って大正四年此の地に遙拝所が設けられ 併せて地区内の社などが合祀された
 平成元年 神社分収林の収益金 氏子の寄付金などで遙拝殿 続いて平成三年稲荷戸背の伐採収入金で社務所などの管理棟が建立整備され面目を一新した。

taki8.jpgtaki10.jpg

三、式年御開帳 
 天武天皇が伊勢神宮の式年遷宮の制を定められ 次の持統天皇の四年(690年)に第一回目が行われた その例により瀧神社でも 仁明天皇の承和五年(838年)に第一回目の御開帳が奉斎されたと伝えられる それ以来三十三年毎の御開帳の盛儀は絶えることなく連綿と継承され現代に引 き継がれて来た 時代によっては変遷推移もあるが この御開帳に当たり御神体を刻み替える事がならわしである
 私たちはこの先例により遙拝殿並びに諸殿舎を造営し 平成五年(1994年)四月氏子が総力を挙げて第三十六回式年御開帳の盛儀を奉斎した。

taki5.jpgtaki6.jpgtaki7.jpgtaki11.jpg

瀧神社境内

taki4.jpgtaki9.jpgtaki32.jpgtaki27.jpg

瀧神社境内

taki34.jpgtaki30.jpg

茅の輪のくぐりかた
水無月の 夏越の祓する人は
千歳の命 延ぶといふなり
(1) 先ず、茅の輪の前に立って軽く礼をします。左足からまたいで輪をくぐり、左回りに回って 元の位置にもどります。
(2) 茅の輪の前で軽く礼をします。右足からまたいで輪をくぐり、右回りに回って 元の位置にもどります。
(3) 茅の輪の前で軽く礼をします。左足からまたいで輪をくぐり、左回りに回って 元の位置にもどります。
(4) 茅の輪の前で軽く礼をします。左、足からまたいで輪をくぐり、ご神前まで進みます。二拝二拍手一拝の作法でお詣りします。

taki28.jpgtaki29.jpg
夏越大祓(なごしのおはらえ) 茅の輪くぐり
半年間の平穏無事を感謝し、夏を無事過ごし、人の心を和やかにするため「茅の輪」をくぐって罪穢れを除き心身の清浄ならんことを祈請する神事。


「茅の輪」の故事 備後風土記から...
「茅の輪」伝承発祥の地 広島県福山市 神代の昔、素戔嗚尊が、南海の方へお出になる途中のこと...
 少し先のこんもりとした森の中に灯りが見えました。近づいてみると、立派な屋敷がありました。
里で一番の長者巨旦将来の屋敷でした。 「今夜はここに泊めてもらおう。」そう思うと素戔嗚尊はその屋敷の中に入っていきました。
「旅の途中で日が暮れて困っています。どうか一晩の宿をお願いしたい。」長い旅でやつれた貧しそうな素戔嗚尊の身なりに目をやるとその屋敷の主は 「おまえみたいに、みすぼらしい身なりの旅の者を泊めるわけにはいかない。兄の蘇民将来の家がある。そこへでも行って頼んでみるがいい。」


素戔嗚尊は、しかたなく疲れた足を引きずりながら歩いて行きました。暗い道をしばらく歩いて行くと、粗末な造り蘇民将来の家がありました。
 素戔嗚尊は、訳を話してお願いすると蘇民将来は 「それはお疲れでお困りでしょう。ごらんのように狭いところですが、どうぞお上がり下さい。」そう言うと、さっそく栗のご飯を炊いてさしあげました。素戔嗚尊は、心のこもった温かいもてなしに大層喜ばれ、その夜は栗柄の寝床でぐっすりとお休みになられました。
次の日。素戔嗚尊は蘇民将来に感謝をされ、旅を続けられました。


 それから素戔嗚尊はめでたくお嫁さんをみつけられ結婚されました。
 何年かたって、素戔嗚尊は子供たちを連れて旅に出かけられました。そしてまた蘇民将来の家に立ち寄られました。 「この前は大変お世話になりました。あの時は本当に助かりました。あれから嫁をもらって子供にも恵まれました。」 「私も嫁をもらって娘が生まれたので、今では三人で暮らしています。」
「私は天照大神の弟で素戔嗚尊といいます。
 ここに来る途中、遠くの村では恐ろしい疫病がはやっておりました。そのうちこの村にもやって来るでしょう。もし疫病がはやってきたら『蘇民将来の家』と書いた紙を入口に貼りなさい。そして、小さな 茅の輪 を作って腰に着けなさい。そうすれば、疫病にかかることはありません。」とお教えになりました。

しばらくして蘇民将来の村にも恐ろしい疫病がはやってきて、村人は疫病に倒れてしまいました。蘇民将来とその家族は「茅の輪」のおかげで救われたことを喜び、素戔嗚尊の不思議な力に有り難く感謝しました。
 そのうち、この地方ではいつの頃からか『蘇民将来の子孫の家』と書いたお札をはり「茅の輪」を懸けて悪い疫病にかからないようにお祈りするようになりました。


○茅の輪も最初は各自が腰に着ける程の小さいものでしたが、時代を経るにつれて大きくなり、これをくぐり越えて祓除を行うようになって今日に及んでいます。

taki24.jpgtaki25.jpgtaki19.jpg

本殿

taki20.jpgtaki21.jpgtaki22.jpgtaki23.jpg

末社神

taki26.jpgtaki18.jpg

遙拝所

taki17.jpgtaki15.jpg

遙拝所

taki14.jpgtaki16.jpg

瀧神社

taki37.jpgtaki36.jpgtaki35.jpg

裏参道


2011年1月10日取材の時の様子

2011taki2.jpg2011taki4.jpg

2011年1月10日取材の時の様子

2011taki3.jpg2011taki1.jpg

2011年1月10日取材の時の様子