大阪城の号砲は津山藩の百済清次郎らが製造
号砲
この大砲は、全長348cm、砲口の内径20cm、外径40cm 先込め式の旧式砲で、材質は青銅の一種とみられる。
1863年、幕府の命令により、美作津山藩(岡山県津山市)の鋳工・百済清次郎らが製造し、大坂天保山砲台の備砲として据え付けられ、明治維新後、大阪城内に移されたものと伝える。
明治3年(1870)から時刻を知らせる号砲として用いられ、はじめは日に3度、明治7年からは正午のみ空砲が大阪市内にとどろきわたり、「お城のドン」「お午のドン」の名で市民に親しまれた。火薬節約その他の理由により大正12年~3年(1923~24)頃中止されたが、その時期と事情ははっきりしていない。(文:大阪城現地説明板より)(2017年8月11日撮影)
「お城のドン」「お午のドン」の名で市民に親しまれた号砲
大阪城に百済製の大砲一門がある。これが現存する唯一のものと思うが、文久三年(1863)の製造で大阪天保山砲台にあったものを明治三年から城に移して号砲とし、大正十二、三年まで使われた。(2017年8月11日撮影)
大阪城に百済製の大砲一門
現地説明板 大阪城内の地図
大阪城の刻印石広場にあった美作津山の刻印
大阪城の刻印石広場
豊臣秀吉が築いた大阪城天守閣
豊臣秀吉が築いた大阪城天守閣
豊臣秀吉が築いた大阪城天守閣
大阪城
大阪城内 ロードトレインが可愛い
大阪城港の水上バス