大渡新田の碑・三村の界栗・千代のいわれ(坪井)

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大渡新田の碑(坪井駅前国道の南側)
 文化年間(1804~1817)坪井駅のあたりを「大渡」とい、南方村と坪井下村の村境であった。
 当時は雑木や籔の荒れ地であったが、福本・池田等8人の力により開墾が行われた。
その2~30年後、美田となって完成した。大渡新田は、水旱(大水や日照り)災い無く五穀豊穣であったが、その下流の住民と灌漑用水を巡って、訴訟沙汰があったと伝えられている。天保8年(1837)に建立されている。

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大渡新田の碑

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三村の境栗
 この地は、中北上村・中北下村・南方中村の境界地であるので、境木として栗が植えられたものと考えられている。

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千代のいわれ
 昔、この地に千体佛を祀っていたので、「千体」が「千代」となった説と、後醍醐天皇が隠岐へ御遷幸の時、この地で御乗りの御輿を洗われたので、「せんだい」と称するようになり、文字も「洗台」と書かれていたが後に「千代」と書くようになった。とも、また、南井中村に『千躰佛』の跡があったが、仏像も仏堂もなくなって、今は「千躰」という地名だけが残っている。(文:出雲街道を歩こう会「坪井宿」資料より)(2020年11月23日撮影)