西中(地域別/津山市/勝北地域)

石敢當(西中・原)

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 沖縄や南西諸島及び九州南部で道路の突き当りや、門・橋などに「石敢當」の三文字を刻んで建ててある石碑で、中国伝来の民俗で悪魔除けの一種である。
「敢當」とは向かうところ敵が無いの意で、災いを除くために橋・門または路上などに石敢當の三文字を刻んで建てた石碑。
 中国伝来の民俗で悪魔除けの一種で、我が国に伝わり、九州地方ではよく見ることができ勝北中学校とに新野小学校にあり、災い除けの意で建てたものであろう。

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鬼子母神(西中)

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 鬼子母神は、もとは幼児を捕えて食べる悪鬼女であったが、自分の子供が奪われたことから改心して、のちには子女を庇護する善神となった。
 生んだ子供が五百とも千ともいわれ、このことから出産・育児の神としての信仰がある。その像容は諸児を抱き従える天女の姿であるが、時には鬼神を示す場合も見られる。
 鬼子母神は左手に一子を抱き、右手に吉祥果を持つ立像が多く見られる。

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少林寺拳法連盟 勝北スポーツ少年団設立20周年記念

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2016年8月20日(土)津山鶴山ホテルに於いて、一般財団法人 少林寺拳法連盟「勝北スポーツ少年団 設立20周年記念講演会」ー少林寺拳法のこれからの歩むべき道ーと題して、講師に少林寺拳法グループの宗由貴総裁と、ー私と少林寺拳法、そして開祖との思い出ー宗道臣塾講師の鈴木義孝氏の講演がありました。その後、隣の部屋で祝賀会が行われました。勝北スポーツ少年団を率いる畝岡先生は「当所4人で細々と始めた勝北スポーツ少年団ですが、これはひとえに、支えてくださる多くの皆さま方の深いご理解とご支援の賜物と衷心より感謝申し上げます。これを機に心新たに、また1年1年、地元に愛される団として、地域・社会に必要とされる人づくりに邁進していく所存です。」と御礼の言葉を述べられました。

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少林寺拳法グループ総裁 宗由貴氏の講演

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2016年8月20日(土)津山鶴山ホテルに於いて、「少林寺拳法のこれからの歩むべき道」と題して、少林寺拳法グループ総裁の宗由貴氏の講演がありメモしてきました。


 少林寺拳法は、開祖が戦後荒廃した日本や、日本人が自信を無くしていたのを見た時、自分に何か出来ることがないか? 自分の手でもう一度人のために働く人を育てたい。社会を良くしていくには、自分のことと同じように他人のことも大切にできる人間をひとりでも多く育てる ‐人づくり‐ しか方法はないと考え、その手段として教え・技法・教育システムを兼ね備えた少林寺拳法を創始しました。
 今や世界37か国まで大きくなりました。少林寺拳法に流派はなく、世界中どこへ行っても、同じ教え、同じ技、同じ教育システムです。
 開祖は様々なものは作ってきたが、その時代その時代で必要なものと必要でないものがあるように思います。指導者は今の時代に何が必要かちゃんと解って指導しなければならない。中学・高校生の若い年代が志を持ち、何とかしようと思ってくれるようにならなければならない。

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天穂日(あめのほひ)神社(津山市西中字天満)

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 本社は、新野西中の産土神であり、社殿によれば円融天皇の貞元二年(977)西中の天満山に社殿を創立して天穂日命を祀り、天満宮と唱えました。元禄二年には津山森藩の崇敬により本殿が再建され、明治六年には村社に列せられ、西奈加神社に改め、さらに明治十年に天穂日神社に改称しました「(美作神社資料」)。新野まつりには当社の神輿一体が新野山形の稲塚野に神幸せられる。
 各社にはそれぞれ神楽殿があり、この舞台を利用しながら発展したのが横仙歌舞伎である。
 まつりの終わったころから芝居の稽古がはじまり、氏子たちは地下芝居の役者となって芸をきそう。神域は各村々の最高の娯楽場でもあった。

参考文献:(勝北町誌・歴史めぐり資料)(神社と寺院)2012年10月26日取材

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