第16回はすの花まつり(久米南町)
2016年7月10日久米南町にある「誠蓮花園」宮地やすらぎの里で「第16回はすの花まつり」があり行って来ました。当日は8:00~14:00までだったのを知らず、14:00に到着したのでイベントも終了しており残念でしたが、ハスの花は見事でしたよ!その後も、お客様が次々来られていました。
(川柳傘踊りや蓮花太鼓、川柳投句会などの催しのほか、ゆずギョウザやゆずコロ、はすの実おこわなどのご当地グルメの屋台も出店!)したそうです。
2016年7月10日久米南町にある「誠蓮花園」宮地やすらぎの里で「第16回はすの花まつり」があり行って来ました。当日は8:00~14:00までだったのを知らず、14:00に到着したのでイベントも終了しており残念でしたが、ハスの花は見事でしたよ!その後も、お客様が次々来られていました。
(川柳傘踊りや蓮花太鼓、川柳投句会などの催しのほか、ゆずギョウザやゆずコロ、はすの実おこわなどのご当地グルメの屋台も出店!)したそうです。
2016年6月18日撮影
鳥取県との県境に位置し、面積334ヘクタール、標高840~1,100mの中国山地にある森林公園。
数百種類といわれる花々の宝庫。春のミズバショウ、ザゼンソウに始まり、秋の広葉樹やカラマツの紅葉まで、いつ訪れても多くの花々や樹木を楽しむことができます。
森林の大部分はブナ、ミズナラ、マルパマンサク、ツノハシバミなどの落葉広葉樹と群生したネマガリダケが主体ですが、一部に県内でも珍しいカラマツ林がはる ほか、スギ天然林、スギ、ヒノキの人工林もあります。山麓の一部にはマユミの大木が秋に見事な赤い実をつけるなど四季を通じて変化するすばらしい自然と眺 望が魅力です。(文:岡山旅ネットより抜粋)(前回の取材の様子)
国定公園那岐山の中腹にある三穂太郎出生の伝説にまつわる滝として有名です。
この滝の高さは20m余り、上の滝を男(雄)滝、下の滝を女(雌)滝と呼び、男滝には周り10数mの底の知れない滝壷があり、周囲はうっそうとした樹木に 覆われ、昼なお暗く、昔より淵に大蛇が住むといわれ、雨乞いの聖地としても広く知られています。(文:奈義町HPより)
滝への入口は那岐山登山口のそばにあります。(2016年7月1日撮影)
2016年6月26日の雨上がりの日ですが、奈義方面にドライブがてら蛇淵の滝まで行こうということになり、行って見ました。涼しくてマイナスイオンたっぷりのこの滝の結構な水量を見て、これも滝の内と撮影して帰り、後日、町議の岡立さんにお聞きしたら、これは砂防ダムと言うことでした。これはこれでひと時の涼かもしれませんが、とても結構な滝だったと思いました。
2016年6月26日、前日からの雨が続いていたので水量も多い勝山にある神庭の滝へ行って参りました。神庭の滝へ行く途中にある「玉垂の滝」の水も多く、神庭の滝と一緒に撮影してみました。
「玉垂の滝」年中たえることなく、落ちる水滴は、水晶の玉を連ねた姿を思わせて、「玉垂の滝」と名付けられた。また、降りそそぐ雨が、草ぶき屋根の軒先から落ちる雨だれにも似ている。(文:看板より)
神庭の滝自然公園(動画はこちらから)
神庭の滝は「日本の滝百選」にも選ばれた、高さ110m、幅20mの中国地方随一のスケールを誇る名瀑。断崖絶壁を流れ落ちる滝の豪快さはいうまでもなく、まるで白布をまとったようにも見える水しぶきは霊験さを感じさせてくれます。滝の中央には黒い岩が突起し、落下する水しぶきに逆らってのぼる鯉に似ていることから「鯉岩」と呼ばれています。
下流には、草葺き屋根から雨のしずくが落ちる姿に似ている「玉垂れの滝」や石灰岩が浸食されてできた「鬼の穴」と呼ばれる洞窟もあります。
これらを含む周辺は、国指定の名勝、県立自然公園に指定されており、広大な渓谷内には種々の樹木が繁り、四季を通じて美しい景観を楽しむことができます。(カエデやカツラなどの紅葉が織りなす秋の風景は秀逸です。) (文:神庭の滝自然公園パンフレットより)
2016年6月26日の小雨が降る中を行って参りました。「岩井滝と名水100選・「岩井」
中津河の山並を「通り岩」と称する安山岩が南北に連なり、鳥取県境まで約25㎞続いている。岩井滝は、通り岩の一部で岩盤が突き出て岩屋を形成し、不動明王が祀られており、数少ない裏見の滝の一つです。
むかし、この地に住んでいた忠左エ門は、子宝に恵まれなかったので、岩井滝不動に願掛けをし、お告げによって「岩井」の水を21日間飲んで念願の女の子を授かり、美しく成長して養子を迎え、家業の木地挽(木工)によって長者となりました。
このことから、娘が生まれた7月10日を岩井滝祭りと定め、「岩井」の水は美と健康・子宝に恵まれる水として語りつがれています。
なお、この場所は中津川山国有林で氷ノ山後山那岐山国定公園に指定されております。
鏡野町 上齋原」(文:看板より)
※ご注意:2016年6月18日(土)~7月10日(日) 車、徒歩通行可能(岩井滝まつりのため、ただし普通車のみ)詳しくは、鏡野町HPへ
岡山県指定天然記念物「七色樫」(2016年6月19日)
ウラジロガシの一種で、四季を通じて葉の色が移り変わる珍しい木です。春の赤から始まり、橙、黄、黄緑、緑、青緑、濃緑と一年に七回変化することから「七色樫」、別名「虹の木」といわれています。
実生もなく、とり木、挿し木も不能で、珍しい変色の原因も明らかではありません。
樹幹周約1.5m、樹高約16m、推定樹齢350年以上と言われている名木です。
(立て看板より)(2月ごろ)(5月ごろ)
花岳寺(かがくじ)は、兵庫県赤穂市加里屋にある曹洞宗の寺院で、歴代赤穂藩主の菩提寺。山号は台雲山(たいうんざん)。
播磨国赤穂藩・浅野家、永井家、森家歴代藩主の菩提寺であり、また、大石良雄の祖先が眠る大石家墓所、義士墓所がある。浅野家、赤穂義士に関する宝物を展示する宝物館、義士木像堂には、大石家代々の持仏・千手観音を祀り、四十七士の木像を安置する。
江戸時代初期の正保2年(1645年)、常陸国笠間藩より転封となった浅野長直公が浅野家菩提寺として創建した。元禄14年(1701年)、浅野長矩公による江戸城松之廊下での吉良義央に対する刃傷事件が起こり、浅野家は改易となった。翌、元禄15年(1702年)赤穂義士による吉良邸討ち入りが起きた。(赤穂事件)その後、赤穂藩には永井家が入り、宝永3年(1706年)には森家が赤穂藩主となり、花岳寺を菩提寺と定めた。赤穂義士37回忌にあたる元文4年(1739年)には境内に有志により義士墓が建立された。ここには遺髪が納められているとされる。また、宝暦2年(1752年)は赤穂義士50回忌にあたり、大石主税と幼な友達であった龍野の藩儒藤江熊陽(ふじえゆうよう)の撰による碑文が刻まれた忠義塚が建立された。明治維新後、赤穂城が解体され塩屋惣門が花岳寺の山門として移築されたとされる。現在山門は、赤穂市文化財に指定されている。(2016年5月5日撮影)
備中松山城跡(高梁市内山下)国指定史跡
備中松山城跡は、高梁市にある山城です。江戸時代に建てられた天守閣が現在も残る城は全国に12ありますが、そのうち最も標高の高い場所にある城がこの備中松山城で、天守閣は臥牛山の峰の一つ、小松山の山頂標高約430mに建てられています。
備中松山城跡がある臥牛山には、南北に延びる尾根上に中世から近世にかけて城が築かれていて、それら全体が国の史跡に指定されています。史跡指定地は、臥牛山に8ヶ所点在しています。また、天守閣、二重櫓、三の平櫓東土塀は国の重要文化財(建造物)に指定されています。