最後の菜の花祭り(奈義町)
最後の菜の花祭り
2014年4月27日(日)10:00~15:00 中島西町有樹園地(奈義町中島西1461-2)
今まで春の菜の花、秋のそば花と花祭りを行っていました町有樹園地に、今年の夏以降メガソーラーが設置されることになりました。3.5haの丘陵地一面の菜の花畑も今年で見納めになります。菜の花フォトコンテスト、菜の花特産市、福引抽選会もあるそうです。
お問合せ先:奈義町産業振興課TEL0868-36-4114(2014年4月14日取材)
最後の菜の花祭り
2014年4月27日(日)10:00~15:00 中島西町有樹園地(奈義町中島西1461-2)
今まで春の菜の花、秋のそば花と花祭りを行っていました町有樹園地に、今年の夏以降メガソーラーが設置されることになりました。3.5haの丘陵地一面の菜の花畑も今年で見納めになります。菜の花フォトコンテスト、菜の花特産市、福引抽選会もあるそうです。
お問合せ先:奈義町産業振興課TEL0868-36-4114(2014年4月14日取材)
当社の創建は不詳であるが、正平16年(1361)11月辛丑、山名時氏が吉野郡田殿村鞍掛城主美濃守赤松氏の支族佐用貞久、有元佐久等を攻め降伏させた。その際、当社に戦勝祈願の報恩として鳥居、額面を奉納した。
一級河川梶並川が神社前面(北側)で大きく歪曲し、水衝部となっていることから、度々冠水により田畑の被害があったと考えられ、氏子の治水祈願から主祭神である瀬織津姫命(セオリツヒメノミコト)を祀ったものと思われる。
大正10年7月20日村社列格。(岡山県神社庁HPより)
2014年2月22日美作市田殿にある田殿神社へセツブンソウ(節分草)を見に行きました。只今、真っ盛りでございます。小さな花で一生懸命太陽を見上げております。
セツブンソウ(節分草) は、キンポウゲ科セツブンソウ属の多年草。関東地方以西に分布し、石灰岩地域に多く見られる。高さ10cmほど。花期は2-3月で直径2cmの白い花を咲かせる。花弁に見えるのは萼片である。和名は、早春に芽を出し節分の頃に花を咲かせることからついた。可憐な花は人気が高く、現在は、乱獲や自生地の環境破壊によって希少植物になっている。(文:ウィキペディアより抜粋)
鏡野を走るとき気になる木があるんです。それは、丸裸に近い木なんですが、幹は太くてどっしりしております。足元には祠があって何かをお祀りしているのでしょうね。
何だか応援したくなる木なんです。
冬に咲く花を探していたら、知人から県北でハウス栽培をしている鏡野町の井上ハウス園芸があると教えてもらい、早速、井上ハウス園芸さんをお尋ねしてみました。この井上ハウス園芸さんは県北で唯一のバラ栽培をしているのだそうです。「バラを育てるのは難しいです。」とおっしゃる井上雅之さんのハウスの中はポッカポカでした。今は9種類のバラの花を栽培なさっているそうです。
井上龍一農園さんにお邪魔してきました。(2014年1月31日)
ずっと前からトマトの花を撮りたいと願っていましたが、やっと撮ることが出来ました。子どもの頃よく育てていたので見ていましたが、冬に咲くトマトの花は一段と鮮やかで綺麗でした。ハウスの中はカメラのレンズも曇るほど、ぽっかぽか。
2014年1月5日、初詣に菩提寺に参りたい友人と一緒に行ってきました。奈義手前の入口は通行禁止になっているので、鳥取方面から上りました。途中雪で思わず引き返そうと思いましたが何とか到着。お参り後、ふと見るとロウバイの蕾が目に入り撮影。その後は雪で登っていません。もう少し解けたら行って見ます。
奈義町高円にある藍工房さんを訪ねると、なんと背の高いロウバイが咲いているではありませんか。早速カメラで撮ってきました。ここのロウバイは少しお花が小さくてかわいい。冬でも咲こうとしているお花に出会ってきました。2014年1月28日撮影
栗柄神社の由来(美作国theミステリーツアーの中にあった栗柄神社訪問)
当神社は、武将 坂田金時をお祀りしたものです。金太郎は、駿河の国(静岡県)富士山の麓、足柄山を望む坂田村(小山町)で八重桐を母として産まれ、成長して坂田公時(金時)と名を改め源頼光の四天皇のひとりとなり、丹波の国の大江山に酒顛童子を退治する大手柄をたてた。その後九州の賊を征伐するために、播州から作州に入ったが大雪のため美作の国・勝間田荘の仮陣屋に滞在中、病によりこの地で亡くなった。ときに寛弘七年(1010年)十二月五十七歳であったとされている。2013.12.23訪問
美作国ミステリースポットとして紹介されている中の【殺生石の由来】 (岡山県真庭市勝山にある曹洞宗の寺院『化生寺(かせいじ)』)
九千年を永らえた白面金毛九尾の古狐が唐より帰朝する吉備真備の船でわが国に密航する。約四百年間身を隠したのち、鳥羽法皇の寵妃(ちょうき)『玉藻の前』となり、ご寵愛を一身に集めたその頃、時の帝近衛天皇は、重い病に伏され、ご生母美福門院(びふくもんいん)は、天文博士安部康成に大祈祷を命ぜられると正体を現した妖狐は那須野原へと飛び去った。2013年12月8日(日)