取材記事内検索

取材記事内を検索ワード「」で検索した結果,530件の記事が見つかりました。

2021 夏の恩原高原スキー場

2021-5onbarasky22.jpg

 2021年5月23日、鏡野町上齋原にある恩原高原スキー場まで足を延ばしてドライブしてきました。ここは、子どもたちが小学校の頃よく通っていましたが、夏場には行ったことがなくて、懐かしさも手伝い行ってみることにしました。着いてみると数組のご夫婦がわらび狩りをしたり、散歩をしたりしてリフレッシュされておられました。この季節の高原もいいもんだなと思いました。
 壮大な高原を眺めながら、マイナスイオンをたっぷり吸い森林浴を楽しんできました。

2021 夏の恩原高原スキー場の続きを読む

2021ファーマーズマーケット ノースヴィレッジ

2021-5-1f4.jpg

 2021年5月1日、久し振りに勝央町にある「農業公園おかやまファーマーズ・マーケット ノースヴィレッジ」に行ってきました。あの奇跡の子元気くんは銅像になっていました。
 ここの農業公園は、家族連れの人が多く来る場所でもあり、いちご狩りや動物たちと触れ合えたり、鯉に餌をやったり、また、バッテリーカーや広い芝生広場もあり子どもたちに大人気の所です。

2021ファーマーズマーケット ノースヴィレッジの続きを読む

2021 恩原高原オートキャンプ場

2021-5-23onbara23.jpg

 2021年5月23日(日)コロナ禍の中ですが、ドライブしながら森林浴を浴びに行こうと誘われ、恩原方面に出かけてきました。オートキャンプ場に着いたら、当然、門が閉じられていましたが「見学やトイレご利用の方はスタッフまでお申し付けください。」の看板を見つけ、お電話して見学をさせていただきました。ここは、「オート54区画(全区画水道・流し台、野外炉付き、うちAC電源付き34区画)自然豊かな環境にあり、場内には釣り堀や遊具がある広場もある。」との情報通り恵まれた環境にあるオートキャンプ場だなと散歩しながら感じました。それとミズバショウの花が咲いていましたよ。

2021 恩原高原オートキャンプ場の続きを読む

間山神社(勝央町)

hashitayama_j8.jpg

間山神社(はしたやま) 旧名 山王宮 間山字そでもぎ
祭神は大山咋命。
沿革:一條天皇の御代(987)、書写山の性空上人によって創建と伝えられる。三星城合戦時高福寺とともに焼失するも、御神体は類焼をまぬがれたといわれる、その後再建され軒札多数が現存している。なお元禄15年(1702)上相村庄屋半兵衛は次のごとく記している。
「上相八幡、中尾大明神、間山山王宮の三社のうち、山王宮は小中志女大夫の講中であったが、近年黒土西山善大夫の講中となる、先年より惣社山王宮、八幡宮は間山孫兵衛が神役を仕り・・・」
氏子は曽井の一部とまやあ居住計15軒
元禄七年 神主 西山佐進、藤原明永書之
軒札 奉建さくしゅう湘南軍トヨクニこれ床間山山王宮一宇成就
九月吉日 村中十二氏子息災延命牛馬事ヲ守処
(文:『勝央町史』より転載)(2013年12月23日撮影)

間山神社(勝央町)の続きを読む

天台宗 鳥羽山 萬福寺(勝央町)

hondou_koufukuji.jpg

鳥羽山萬福寺 天台宗 植月北鳥羽野
 境内に観音堂(慶長3年観音寺住職円慶中輿)、大日堂(宇堂の上)、地蔵堂、阿弥陀堂、弁財天祠、薬師堂があった。明治22年11月出火し、今は寺は無く観音堂、大日堂その他が再建されている。
萬福寺縁起古文に、往古役行者小角が回国途中霊験によりこの地に弁財天を鎮座せしとされ、また観世音菩薩の由来は、京都鳥羽に置いて行基が菩薩六尊を新造中に、美作のこの地に飛行し立座した霊夢を、聖武帝と行基が同時に御告があった・・神亀3年(726)創建したと記録され、また再度の火災により大破のみぎり、京都鳥家の長者霊夢を見て、この地に下り再興した。森候の祈願所でもあり、馬継所の桜の馬場の伝承もある。
 観音堂・・・美作三十三観音霊場六番札所、本尊は聖観音立像(148㌢)行基作、足裏に義経と記され、源義経の守り本尊として伝承される。
萬福寺は元亀元年(1570)慈眼大師により再興されたが、寛文の頃に無住となり観音堂の兼務となった、大日堂の見正院に坊籍を許可でず、宇堂は荒廃し、火災でついに廃寺となる。(文:『勝央町誌』より転載)(2021年3月15日・2020年9月10日・2012年9月3日撮影)

天台宗 鳥羽山 萬福寺(勝央町)の続きを読む

明親館跡(真庭市指定文化財 史跡)

meishinkan8.jpg

明親館跡(真庭市指定文化財 史跡)昭和43年5月1日指定
 明治3年(1870)津山藩の目木触・河内触有志の発起により両触の郷学として、早川代官ゆかりの地に創設されました。
 備中聖人と称された山田方谷を顧問に、方谷の門人を講師に迎えました。明親館の名は、「智仁義徳武に親しむ」(親)ことによって「ひらけた国にする」(明)の意味で、方谷自ら命名しました。
明治6年(1873)に血税一揆の焼き討ちにあったことなどから、廃止されました。
平成14年3月1日 真庭市教育委員会(文:現地立て札より)

明親館跡(真庭市指定文化財 史跡)の続きを読む

2021年勝央工業団地のツツジ

4-25-tsutsuji11.jpg

 2021年4月25日・5月1日の勝央工業団地のツツジです。
今年はコロナ禍の中なので、ドライブしながらお花見が出来るところを探してみました。2018年に行った勝央工業団地を通ってみると今年も綺麗なツツジが咲いていて嬉しくなりました。この工業団地はいつも綺麗にお手入れがされていて奇麗な通りです。(2018年4月22日・28日撮影

2021年勝央工業団地のツツジの続きを読む

美作の大庄屋「青井家」

1aoi4.jpg

青井家 青井平内 勝南郡岡村 出石藩
大庄屋まで
 青井家の家伝によれば、赤松円心に仕え、今井姓を名乗っていたが、母方の青山氏の姓とあわせ青井に改姓したという。のち、宇喜田直家に従い、天正5年(1577)岡村に移住したという。岡村など8か村が出石藩領になった延享4年(1747)、青井平内は明見村古田氏とともに大庄屋に任命された。平内の父は祠に祀られている道林禅定門という。
大庄屋として
 青井平内の子軍太は、寛政10年(1798)、岡村絵地図を作成している。出石藩は、岡、為本、明見、入田、金井、中原、百々、周佐8か村を支配し、青井氏、古田氏が管轄した。

美作の大庄屋「青井家」の続きを読む

1本木で咲く藤の花(鏡野町藤屋)

2021-4-25takamiya1.jpg

 2021年4月25日鏡野方面に行き、1本の木にたわわに咲く豪華な藤の花と出会いました。
ここは、嘗て伯耆往来の新町の中島家を訪ねたのが初めてで、その静かな佇まいに魅せられ時々訪れていましたが、ふと見た景色にひときわ目立つ藤の花が目に入り立ち寄ってきました。この様な豪華な藤の花が咲いたのを見たこともなかったので、見た時は感動ものでした。このお宅は藤屋の髙宮さんというお宅で、髙宮さんの奥様にお聞きすると、この藤は30数年前お嫁に来た時からあったそうです。

1本木で咲く藤の花(鏡野町藤屋)の続きを読む

笛吹川歌碑公園(久米南町)

fuefukiken18.jpg

 笛吹川歌碑公園は岡山県久米郡久米南町にある誕生寺に隣接した公園です。
2020年9月13日に誕生寺に取材に伺った時、門の外で何気なく周りを見渡すと公園という文字が書かれた看板が眼に入り、つられて行ってきました。公園内は2千坪もあるそうです。その中には正岡子規をはじめとする文化人の文学碑・歌碑が沢山並んでいます。また、美しい公園内ではほたるも観察できるそうです。

笛吹川歌碑公園(久米南町)の続きを読む