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景清神社(西粟倉村)~美作は謎に満ちて~

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美作国theミステリーの謎解きでやってきた景清神社(景清神社 岡山県英田郡西粟倉村影石)(2013年9月29日)

看板に(粟倉13景)~景清が岩に腰かけ吹く笛の音ごろの水音先代に流るる平悪七兵衛景清ゆかりの地~「平家であらざれば人でなし」と我が地の春を謳歌し た平家一族の勇将平悪七兵衛景清が産水をとったと言われる「産水池」「腰掛岩」などの伝説がこの地に残されています。また、「景清さま」は眼病に霊験あら たかで、数多くの参拝者もあります。(看板より)

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美作国theミステリーツアー(美作土居駅)

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二人連れでやってきました、JR姫新線の美作土居駅です。(2013年9月22日)
この駅は昭和11年開業で、兵庫県との県境にある木造駅舎です。ウィキペディアによると1日の平均乗車人員は39人(2010年度)だそうです。

来たのはいいのですが、二人とも肝心の本を忘れて来てしまいました。たしかたしか、「駅の前の坂を上がれ、そのままを見ろ、宿は必要ない!」だったと薄い記憶をたどりながら、正面を見て駅名のプレートを見るがさっぱり解らない。

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美作国theミステリー「探偵たちへの挑戦状」受け取る!!

9月7日(土)より、あさのあつこさんの美作国theミステリー「探偵たちへの挑戦状 美作は謎に満ちて」の冊子が配布&ダウンロード開始になりましたね(*´∀`)
読んだだけでは謎が解けず、自分が探偵になって殺人犯を探すという今までにない設定の推理小説です。
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津山瓦版スタッフも挑戦状を運良く手に入れることができました。
( ゚Д゚ノノ☆パチパチパチパチ
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早速、名探偵になるべく中身を拝見しましょう!!!ヽ(=´▽`=)ノ





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上山神社(美作市上山)

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御祭神(大足比古大神、大足比女大神、譽田別大神、伊邪那美大神、菅原大神)
由緒
本社は美作国古社百十二社の其一にして天平年間以前の勧請なり、當神祭神 大足之神は民福を計りて此地に池を築かしめ給ひしに依りその御功績を永遠に伝えんがため御名大足を池名とし本社に勧請せしものなり 故に中古迄は社名を、大足宮と申し戦国時代に至り諸国の神社兵火に懼るに依り其災を免れんとして武人の尊崇せし所の八幡宮と改稱し、明治二年現社名に改む 往古より社領二反六畝五歩を有せしが慶長十三年浮田中納言のため没収せられる。

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2013年 英田上山神社の夏祭り

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美作市にある上山神社で2013年8月11日(日)午後6時より、上山集楽の復活第2回目の夏祭りがありました。今年の夏祭りは、福島からサマースクールで来ていたの子ども達19名と親御さん22名を招待した夏祭りになりました。最後は参加者全員で願い事とともにスカイランタンを上げました。炎天下の中準備をすすめて来られたみなさまご苦労様でした。2012年の様子

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私の8月15日 漫画家たちの終戦はおススメです。

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勝央美術館に「私の8月15日 漫画家たちの終戦」展を見に行ってきました。

日時:2013年7月20日(土)→9月1日(日)/場所:勝央美術文学館/:0868-38-0270(勝央美術文学館)/午前10時~午後6時/月曜休館。

 故手塚治虫さんや水木しげるさんら有名漫画家が終戦の日(8月15日)をテーマに、自らの記憶を描いたイラストの複製作品を集めた展覧会で、一般財団法人日本漫画事務局8月15日の会が所蔵する作品です。

詳細につきましては、下記URLをご覧ください。
http://www.town.shoo.lg.jp/museum/

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美作国建国1300年記念「金太郎こども角力大会」

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美作国建国1300年記念「金太郎こども角力大会」2013年6月9日(日)

9:00~11:30金太郎こども角力大会の部、12:30~14:20大相撲イベントの部が勝央町植月中の角土俵でありました。主催は勝央北小学校、勝央町、植月、吉野、古吉野地区です。地域一帯で盛り上げておられました。また、ゲストに佐渡ヶ嶽部屋力士(琴欧州、琴国、琴恵光、琴欣旺)が来られていてとても楽しいイベントでした。

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〔谷崎潤一郎〕今田屋旅館へ移る。(速日神社前)

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▲ここで(速日神社)谷崎潤一郎さんが家族で写真を撮っている。
現在この川では鯉が泳いでいて、下流では今でもシジミが採れるそうです。(2012.5.10取材)


昭和20年 12月29日 城内の今田屋旅館へ移る。
昭和21年(1946) 1月 1日 渡辺明氏が夥しい北海道の土産を持ってくる。 
1月 30日 津山の闇市に行き、今津屋橋南で1パイ5円のぜんざいを食べる。   
3月 6日 刑部に疎開していた内田巌画伯が逗留し、谷崎の肖像画を描く。
3月16日 京都へ引き上げるために上洛する。
5月 末 水島宅で送別会をしてもらい、家族ともども京都へ帰る。
8月初め 再び勝山に来て今田屋旅館で「細雪下巻」執筆、荷物を整理して勝山を離れる。


小野はるさんと何かあったらしく、今田ツネさんの所(もと今田屋旅館)に引っ越した。(2階が8畳3間と6畳6間を全部借り切って執筆していた。)
(文:郷土博物館)

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〔谷崎潤一郎〕水島呉服店さんとのエピソード

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 水島節子さんからお聞きしました。「勝山には、こっくりさんに聞いてから来たそうですよ。終戦前に来られたときは着物を着流しで歩いていたので当時は珍しく、また、おいしい物が好きな方だったそうです。」
 「ここからピアノの音が聞こえたので、谷崎さんが尋ねて来られたのが最初で、その後、姑がご馳走を作っておもてなしをしていたようです。また、谷崎さんはここの2階でも時々執筆していたようで、子どもが変なおじさんが来たら、だまらんといけん!と言っていたそうです。」今は息子さんの代で水島呉服は止めて司法書士事務所になっています。


 節子さんの姑で故水島芳子さんが谷崎一家を助けたことは有名です。
「水島家に谷崎さんのお気に入りの中之庄谷美智子さんが居たことも大きな要因ですが、水島芳子さんという心の大きい人が居なかったら勝山での谷崎家は随分困ったには違いない。」と見せていただいた雑誌コピーに書かれてあった。
食料だけではなく、水島芳子さんの太っ腹な大らかさが谷崎家に貢献したのです。(2012.5.13取材) 谷崎潤一郎とは


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〔谷崎潤一郎〕小野はるさんの離れに落ち着く

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昭和20年(1945) 5月15日 新聞記者で月田出身の岡成志の勧めで津山市八子の松平別邸に疎開。この間、岡氏は死去する。
6月 3日 岡未亡人から勝山に貸間があると知らせてくる。
6月 4日 土井武氏の案内で新町の小野はる氏の離れに決める。
7月 7日 勝山に着き、新町の小野家離れに谷崎夫婦と娘が入る。
後に妻松子の妹2人、松子の従兄弟らも疎開して、近くの呉服屋2階に住む。「細雪」の執筆に取り組む。原稿の写しを野崎益子女史が頼まれた。
食料の調達には福谷の須田伸治郎氏の世話になる。
中町の呉服店水島喜八郎氏と深く交流した。
下町の醤油業河本はな氏とも交際した。
8月13日 永井荷風が谷崎を訪ねてくる。15日には帰る。(疎開日記より)


旦酒店さんから伺ったお話

 勝山は水の綺麗なところで、昔は井戸水が綺麗だったので豆腐と酒を造っていました。酒屋も2軒ありましたが、今は辻さん1軒だけとなりました。それに宿も9軒ありましたが、今は寝泊りだけで2軒しかないのです。
 谷崎さんが勝山に来られたときの姿は、ボロボロの汚い着物だった。それに、沢山の原稿の入った「こおり」を大八車に積んできて近所の旅館の土蔵を借りて荷物を入れたとのこと。また、谷崎さんは金が入ったら大盤振る舞いをしていたそうで、普段は午前中執筆、午後は奥さんと川沿いを散策していたそうです。
 エピソード:小学校の教師になるために勉強していた野崎ますこさんは書が上手だったそうで、谷崎さんの書生を務めることになり、テストを受けたのですが、そのテストがユニークだったそうです。なんでも、奥さんとて書斎には上げないのですが、野崎さんを先に上らせ下からみて、足袋の白さ(足が綺麗かどうか)を見ていたそうです。勿論、野崎さんは無事合格して書生をつとめたそうです。(2012.5.10取材)


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