那岐山麓「山の駅」から見た2016年の初日の出
2016年1月1日那岐山麓「山の駅」付近で見た初日の出です。津山市内では濃霧の為日の出を見るのは難しく、急遽奈義町の山の駅へと急いでみたら、身動きできないくらいの多くの車と大勢の人々でした。午前7時27分頃に出てきたご来光は、神々しく輝き皆さん思わず感嘆の声を上げていらっしゃいました。こんな輝ける年となりますよう取材に頑張りますので、本年も何卒よろしくお願いいたします。
2016年1月1日那岐山麓「山の駅」付近で見た初日の出です。津山市内では濃霧の為日の出を見るのは難しく、急遽奈義町の山の駅へと急いでみたら、身動きできないくらいの多くの車と大勢の人々でした。午前7時27分頃に出てきたご来光は、神々しく輝き皆さん思わず感嘆の声を上げていらっしゃいました。こんな輝ける年となりますよう取材に頑張りますので、本年も何卒よろしくお願いいたします。
諏訪豊前守安盛墓と諏訪神社跡地が勝田郡勝央町古吉野(現.河原、石生、町川)にある。
文武4年(700)河原鏡山に小吉野庄の総社として神社を創建。天平5年(733)旧9月20日庄内の住民(開墾者)が集合して河原田園開発の大祈祷を行う。長久3年(1042)小吉野庄の氏子の総意により、信州諏訪大社の御分霊(建御名方命)を歓請した。このとき諏訪安久(清和天皇の皇子貞純親王九代の孫室賀二郎盛扶の三男)が順行、諏訪豊前守定信宮司となって平重盛の子女を妻に迎える。安元2年(1176)広戸風の大烈風で本社が大破、諏訪豊前守安盛が風害の少ない現在地に移す。建久3年(1192)諏訪豊前守安盛に至り、源頼朝より小吉野庄地頭職の相談役として任命される。その後、応永7年(1400)安久より六世を経て男子なく、日野大納言時房の子兼信を養子とし、結婚と同時に性を出雲井と改め、式部太夫兼信とする。(文献:美作名門集)(2015年6月9日・10月12日撮影)
諏訪神社を取材するにあたって、宮司の末裔である出雲井隼麻さんに古吉野村の歴史をお聞きしてきましたので紹介してみます。(明治24年4月石川秀助筆)
2014年9月6日(土)に「第4回 お月見会と竹灯籠」(午後6時~午後8時30分)がおかやまファーマーズ・マーケット ノースビレッジでありました。テント村ではバーベキュー・焼きそば・お好み焼き・たこ焼きなど、また、お茶席ではお月見団子付き抹茶セット、お琴・金時太鼓・なのはなファミリー出演の夕べのコンサートもあって町内外の人で賑わいました。
阿弥陀堂の大イチョウ(奈義町指定天然記念物 昭和44年7月7日指定)
勢至丸(後の浄土宗の開祖法然上人の幼名)が修行のため菩提寺の叔父の下へ行く時、この木の枝を杖にし、「学成れば根付けよ」と突き刺したのが、菩提寺の大イチョウになったという伝説があり、大イチョウの親木とも伝われている。
落雷で一部が焼けるなどしているが、枝から垂れる気根は3mにもなり地中に達している、県北を代表する巨樹である。(2015年11月7日・11月20日取材)
2015年10月10日~11月1日まで勝央美術文学館に於いて、吉川英治『宮本武蔵』掲載開始80周年記念が、~吉川英治と木村毅 二人の剣豪~「武蔵×武蔵」と題して開催されました。
『鵜図』 一点一画の加減も許さない完璧な名画である。画評に用いられる逸品とは、このような絵画を指すのであろう。
巌頭に佇立している鵜の姿勢はまことに自然、風貌はまったく凝るところがない。鵜は人にとらえられて、人のために魚を取ることを余儀なくされる。鵜は魚を取ってとらず、人は魚を取らずして掴む。奸智のうしろめたさを人は鵜に見る。しかし、鵜はただ本能のままに魚影を探るにすぎない。ひたすら無心の鵜と、分別する有心の人間とのドラマ、この絵にはつきぬ興味がある。
国指定天然記念物 菩提寺のイチョウ 昭和3年1月18日指定(2015年11月11日・20日取材)
このイチョウは、浄土宗の開祖法然上人(幼名:勢至丸)が、仏教の手ほどきを受けるために、この菩提寺に入山の際、麓にある「阿弥陀堂の大イチョウ」の枝を杖にし、学業成就を願い挿し根付いたと云われる名木です。平成25年に奈義町教育委員会が行った樹勢診断調査の中で、「菩提寺のイチョウ」と「阿弥陀堂のイチョウ」そして隣り合って立つ「天明のイチョウ」は同じDNAを持つことが判明しました。この事は、記の育った環境を知り、今後の樹勢維持の検証するうえで貴重な発見となりました。皆さんもこの木を見上げ、900年の歴史に想いを馳せ、奇跡の生命力を感じていただければと思います。(樹高:40m、目通り幹囲:13m、樹齢:推定900年)
河原大イチョウ(2015年10月19日・11月11日)
本樹は樹高30M、元から二幹に分岐し、すぐまた六枝に分岐している。根元の周囲9.1M、目通り周囲9.7枝張り南北22M、東西17.4Mで推定樹齢600年、県下屈指の巨木である。本樹は雄で銀杏はならない。樹形は二枝が合着したもの、或いは最初の幹が失われて、その株から新枝が再生して今日の姿に成長したものと考えられ、イチョウ本来の姿とは梢趣を異にしている。
昔から銘木として知られ、元禄2年(1689)「川原村名物」の記事にも載っている。傍らに燈籠がたっていて嘉永元年(1848)在銘であるところを見ると、この地は天神様の境内地で昔から神木として崇められていたものであろう。
ここに集落環境整備事業によりイチョウの木の周辺を地区のシンボルとして又、憩いの広場として整備し、その地にある歴史を大切にした景観づくりを図るものである。
・昭和47年6月15日 町指定天然記念物
・平成4年3月 集落環境整備事業により銀杏広場として整備
平成4年 梢に春風吹く頃
勝央町 河原地区 (文:説明板より)
勝央美術文学館で開催中の勝央町岡出身の洋画家、下山中(しもやまみつる)さんの作品展に行って参りました。下山さんは洋画家・石田正典に師事し、教職の傍ら多くの展覧会に出品して来られたそうです。今回は、洋画・スケッチなど、初期の作品から近作まで、約60点あまりが展示されています。この日偶然ですが、下山さんとお会いすることができました。会期は11月14日(土)〜12月6日(日)です。(2015年11月19日取材)
奥津渓のもみじのは県内でもいち早く紅葉が見られる有名な所で毎年拝見する場所です。ここは、奥津温泉から下流約3kmにかけて、紅葉が見られます。また、奥津もみじ祭りのイベントもあり、夜はライトアップもあって楽しみましたが少し寒かった~。(2015年10月29日取材)