県道・物見峠の改修(津山市物見)
物見峠を越えて因幡国へ通じる県道(旧因幡街道)の改修について、以前この県道は、公郷から下津川までの間を松ヶ乢(たわ)越といって、現県道より上の山腹を通じていたが、明治中期頃に現在位置の道筋に変更されている。
この詳細については不明であるが、明治19年頃に勝北郡堀坂村より物見村までの改修工事が行われたことが、豊岡貢所蔵文書によってわかる。
また、桑原地内の旧道は、旧加茂東小学校前を通り、井手の上手から井手に沿って藤の木までであったが、これは昭和3年(1928)3月の因美線津山-加茂間の開通にともなって大改修が行われ、道筋も公郷・桑原両地内をほぼ直線で貫通する現県道筋となった。
その後、この道路は、昭和37年(1962)10月の県営黒木ダムの建設にともなう資材輸送のために拡幅・整備がなされ、翌38年春、工事が完しその両目を一新した。
このような道路変更にともなって町並も変わった、すなわち、因美線の開通以前には、往来筋に民家も建ち並んで「町屋敷」とよばれ繁盛していた旧道筋は、県道路線変更によってさびれていたので、これに沿った民家も次々と新県道沿いの場所へと移動していき、現在のような町並を形成するにいたった。
物見の集落です。
物見の田んぼがきれいです。
物見の集落が見えています。
「上加茂村誌」によると、
物見峠の坂道は急勾配で車馬の通行も不可能であったものを、まず物見村の北村嘉平がこの改修にのりだし、続いて明治15年・40年の二回にわたって峠の切り下げを行っていることがわかる。
また、この道路は主要地方道6号線(津山・加茂・智頭線)として、現在も拡幅・舗装の改修工事が進められている。
この峠には茶屋があり、美作・因幡両国への道をたどる旅人がしばしの休息を楽しんだ。ちなみに、明治19年(1886)の「道中日志簿」(知和、内田証一郎所蔵)によれば、因幡国へ峠越えをする際「一、金弐銭、物見村国境峯ノ茶屋ニテ休ミ、茶代」と記されているから、この当時の茶代はだいたい二銭くらいであったと思われる。
美作加茂駅が開業した昭和3年から因美線が全通する昭和7年の間、物見峠を経由して加茂駅~智頭駅間を6人乗りの自動車が営業運行したこともあった。(文:『加茂町史』より)
鳥取県と岡山県津山市の県境です。
物見峠の県界標
鳥取県との県境です。
県道6号線(鳥取県側です。)
現在は綺麗に舗装されています。
鳥取県側
鳥取県側
鳥取県側
くちうなみふるさと展望台です。鳥取県智頭町大字口宇波 駒毛面(こまけずら) 標高520m
展望台です。
県道6号線
往時が偲ばれる家々です。
鳥取県側から入ると見える道路標識です。
往時の街並みが残る家々です。(2022年9月14日撮影)