恩原高原のニッコウキスゲとベニウツギ
「スキー場クリスタルパレス前のニッコウキスゲが今週から少しずつ咲き始めています。6月上旬〜中旬が見頃です。」との情報を頂き2021年6月6日に行ってまいりました。
青空の下、広々とした恩原高原スキー場です。
「スキー場クリスタルパレス前のニッコウキスゲが今週から少しずつ咲き始めています。6月上旬〜中旬が見頃です。」との情報を頂き2021年6月6日に行ってまいりました。
青空の下、広々とした恩原高原スキー場です。
2021年5月29日、美作市にある富阪皓一さん宅のバラ園を拝見してきました。富阪さんのバラ園はオープンガーデンではありません。あくまでも富阪さんのご趣味で、バラ好きの方たちとの交流を楽しんでいらっしゃるそうです。このバラ園のバラは約500株ほどあるそうです。その他、園内には大小様々なお花が咲き乱れていて花園に居るようでした。
大日山 光明寺(高野山真言宗第71番札所)
当山は大同元年(806)に、行基菩薩によって開創されたと伝えられ、大日山と号し、大日如来を本尊とするお寺です。
元亀年中戦火に遭い、灰塵となりましたが、その後、葛下城主・中村大炊助頼宗という武将が、岩屋城(現在の津山市久米)を攻める時に当山を詣で「大日是摩利支尊天は、欽仰する所なり、戦い勝つを得しめば焦跡を復さん」と戦勝を祈願しました。宇喜多氏との戦いに勝利した中村氏は、自分の守り本尊として信仰していた不動明王を当山に納め、僧快伝を住職とし復興に尽力され、現在に至っています。明治八年四月から本堂を択善(羽出)小学校の校舎として授業が行われていました。(文:『美作霊場めぐり』より)
2021年5月23日、鏡野町上齋原にある恩原高原スキー場まで足を延ばしてドライブしてきました。ここは、子どもたちが小学校の頃よく通っていましたが、夏場には行ったことがなくて、懐かしさも手伝い行ってみることにしました。着いてみると数組のご夫婦がわらび狩りをしたり、散歩をしたりしてリフレッシュされておられました。この季節の高原もいいもんだなと思いました。
壮大な高原を眺めながら、マイナスイオンをたっぷり吸い森林浴を楽しんできました。
2021年5月1日、久し振りに勝央町にある「農業公園おかやまファーマーズ・マーケット ノースヴィレッジ」に行ってきました。あの奇跡の子元気くんは銅像になっていました。
ここの農業公園は、家族連れの人が多く来る場所でもあり、いちご狩りや動物たちと触れ合えたり、鯉に餌をやったり、また、バッテリーカーや広い芝生広場もあり子どもたちに大人気の所です。
2021年5月23日(日)コロナ禍の中ですが、ドライブしながら森林浴を浴びに行こうと誘われ、恩原方面に出かけてきました。オートキャンプ場に着いたら、当然、門が閉じられていましたが「見学やトイレご利用の方はスタッフまでお申し付けください。」の看板を見つけ、お電話して見学をさせていただきました。ここは、「オート54区画(全区画水道・流し台、野外炉付き、うちAC電源付き34区画)自然豊かな環境にあり、場内には釣り堀や遊具がある広場もある。」との情報通り恵まれた環境にあるオートキャンプ場だなと散歩しながら感じました。それとミズバショウの花が咲いていましたよ。
間山神社(はしたやま) 旧名 山王宮 間山字そでもぎ
祭神は大山咋命。
沿革:一條天皇の御代(987)、書写山の性空上人によって創建と伝えられる。三星城合戦時高福寺とともに焼失するも、御神体は類焼をまぬがれたといわれる、その後再建され軒札多数が現存している。なお元禄15年(1702)上相村庄屋半兵衛は次のごとく記している。
「上相八幡、中尾大明神、間山山王宮の三社のうち、山王宮は小中志女大夫の講中であったが、近年黒土西山善大夫の講中となる、先年より惣社山王宮、八幡宮は間山孫兵衛が神役を仕り・・・」
氏子は曽井の一部とまやあ居住計15軒
元禄七年 神主 西山佐進、藤原明永書之
軒札 奉建さくしゅう湘南軍トヨクニこれ床間山山王宮一宇成就
九月吉日 村中十二氏子息災延命牛馬事ヲ守処
(文:『勝央町史』より転載)(2013年12月23日撮影)
鳥羽山萬福寺 天台宗 植月北鳥羽野
境内に観音堂(慶長3年観音寺住職円慶中輿)、大日堂(宇堂の上)、地蔵堂、阿弥陀堂、弁財天祠、薬師堂があった。明治22年11月出火し、今は寺は無く観音堂、大日堂その他が再建されている。
萬福寺縁起古文に、往古役行者小角が回国途中霊験によりこの地に弁財天を鎮座せしとされ、また観世音菩薩の由来は、京都鳥羽に置いて行基が菩薩六尊を新造中に、美作のこの地に飛行し立座した霊夢を、聖武帝と行基が同時に御告があった・・神亀3年(726)創建したと記録され、また再度の火災により大破のみぎり、京都鳥家の長者霊夢を見て、この地に下り再興した。森候の祈願所でもあり、馬継所の桜の馬場の伝承もある。
観音堂・・・美作三十三観音霊場六番札所、本尊は聖観音立像(148㌢)行基作、足裏に義経と記され、源義経の守り本尊として伝承される。
萬福寺は元亀元年(1570)慈眼大師により再興されたが、寛文の頃に無住となり観音堂の兼務となった、大日堂の見正院に坊籍を許可でず、宇堂は荒廃し、火災でついに廃寺となる。(文:『勝央町誌』より転載)(2021年3月15日・2020年9月10日・2012年9月3日撮影)
明親館跡(真庭市指定文化財 史跡)昭和43年5月1日指定
明治3年(1870)津山藩の目木触・河内触有志の発起により両触の郷学として、早川代官ゆかりの地に創設されました。
備中聖人と称された山田方谷を顧問に、方谷の門人を講師に迎えました。明親館の名は、「智仁義徳武に親しむ」(親)ことによって「ひらけた国にする」(明)の意味で、方谷自ら命名しました。
明治6年(1873)に血税一揆の焼き討ちにあったことなどから、廃止されました。
平成14年3月1日 真庭市教育委員会(文:現地立て札より)
2021年4月25日・5月1日の勝央工業団地のツツジです。
今年はコロナ禍の中なので、ドライブしながらお花見が出来るところを探してみました。2018年に行った勝央工業団地を通ってみると今年も綺麗なツツジが咲いていて嬉しくなりました。この工業団地はいつも綺麗にお手入れがされていて奇麗な通りです。(2018年4月22日・28日撮影)