西粟倉村の芝桜公園に行って来ました。
3年前から芝桜を棚田の蛙畔に1万5千本植え付けている西粟倉村大茅地区。沢山のマスメディアさんが取り上げられている西粟倉の芝桜公園。心ウキウキ行って参りましたよ。いゃぁ~美しい芝桜が満開で感激でした。来られる人を楽しませようと、ここまで育てるご苦労は大へんなものだったでしょうね。来年も美しく咲いてねと寄附させていただきました。(2018年4月28日撮影)
3年前から芝桜を棚田の蛙畔に1万5千本植え付けている西粟倉村大茅地区。沢山のマスメディアさんが取り上げられている西粟倉の芝桜公園。心ウキウキ行って参りましたよ。いゃぁ~美しい芝桜が満開で感激でした。来られる人を楽しませようと、ここまで育てるご苦労は大へんなものだったでしょうね。来年も美しく咲いてねと寄附させていただきました。(2018年4月28日撮影)
まきばの館は4月21日~5月6日まで「春のフェア―」と題してアウトドアでのびのびしよう!と様々なイベントが催されています。私たちがおじゃましたのは、4月30日で丁度イベントの無い日でしたが、緑の中に映える紫やピンクの藤の花、菜の花が出迎えてくれました。この日は歩くと汗ばむ陽気で子ども達は水遊びに夢中、大人たちはアイスで一休みしました。
勝央工業団地のツツジはどんなに綺麗に咲いているかな?と思いつつ走ってきました。いつもはメイン通りしか車で走らないのですが、お散歩のつもりでちょっと中筋を通ってみると素晴らしく綺麗なツツジと出会ってしまいました。なんと綺麗なツツジでしょう。こんなに沢山のツツジが綺麗に咲き誇っているのを近場で見たことがありません。勝央の工業団地は春夏秋冬綺麗にお手入れがなされていて大好きな通りです。管理者の皆様のご苦労もさることながら美しく咲いているツツジが素晴らしい!(2018年4月22日・28日撮影)
2018年3月17日(土)~2018年5月6日(日)9:00~17:00 なぎビカリアミュージアムで岡山理科大学が所蔵している恐竜の化石の展示があるとの情報と、地球の歴史やビカリア等を紹介する映像をリニューアル!されていると聞き早速行って来ました。とても面白いと感じたのは、「地球カレンダー」でした。人類が誕生するまでの地球の歴史を1年のカレンダーに当てはめたものです。
「ビカリア オブ テラー」を見て、ビカリアの謎を解きあかせ!ここでしか出会えない恐竜たちに会いに行こう!
県道179号線に沿って江見駅から林野方面に行く途中に美作しいたけ園があります。湯郷温泉から車で5分くらいの所です。車で走っていたら、木々の間にピンクや黄色の色とりどりのお花が見えてきたので立ち寄ってみました。美しいグラデーションに感激しました。また、3月なのですがシイタケ狩りやタケノコ狩りができるそうです。そして広場には「現今上陛下の行啓記念碑」もありました。(2018年3月31日撮影)
昭和9(1934)年
姫新線は、東中国地域を東西に貫いて、新見駅と姫路駅を結ぶ158.1営業キロの鉄道です。当初は、津山駅-姫路駅間を姫津線、津山駅より西を作備線と呼んでいましたが、昭和11(1936)年に姫津線が全通した際、合わせて姫新線とされました。
美作江見駅は、昭和9年に東津山駅-美作江見駅が開業した際に設置され、昭和61年、旧作東町に譲渡されました。一部に増築や改変されている箇所もありますが、全体構造はほぼ旧状を留めています。
なお、姫新線で一つ東の美作土居駅は、昭和11年に設置されましたが、これもほぼ建築当初の状況を保っています。(文:『あなたの街の近代化遺産ガイドブック』より)
JR津山線建部駅駅舎 明治33(1900)年 (登録有形文化財)
中国鉄道(現在のJR津山線)岡山ー津山間が開通したのは明治31年で、県北と県南を結ぶ鉄道としてこれまで重要な役割を果たしてきました。この駅舎は、岡山ー津山間のほぼ真ん中に位置しており、開通の2年後に地元からの要望により建設されました。現在も建設当初の姿をよく残しており、津山線の駅舎として貴重なものです。
屋根はセメント瓦で葺かれ、壁は下部が板壁、上部は白漆喰塗り、木枠の窓がはめられ、内部も小荷物扱口や窓口カウンターなど古い状態をよく留めています。映画「カンゾー先生」(1998年公開)の撮影にも使用されました。駅舎ホーム側の柱上部に、建設年代を記した小さな標識(建物財産標)が貼り付けてありますので、探してみてください。(文:岡山県文化財保護協会 あなたの街の近代化遺産ガイドブックより抜粋)(2018年3月24日撮影)
2018年湯郷温泉「おひな祭り」が3月17日(土)~25日(日)まで開催されています。湯郷地域交流センター、各旅館、店舗など約35軒で雛飾りが展示してあります。街歩きしながらゆっくりと雛めぐりを楽しんで来ました。
新見藩の歴史
このまちは江戸時代元禄10年(1697年)に初代新見藩主関長治侯によってつくられたまちです。新見藩は1万8千石です。元禄時代はすでにお城は造れない時代でしたので、御殿(官邸)を建て、そこで政務を執られました。このことによりこの地区を新見御殿町と言っています。
関家と森家の本国は美濃です。両家は濃い姻戚関係にあり、共に織田信長に仕えておりました。天正10年、本能寺で織田信長に最後まで従って戦死した森蘭丸、坊丸、力丸の一番末の弟が千丸で、千丸だけが幼くて美濃に残っておりました。その後、千丸(森忠政)は関ヶ原の戦いで功を認められ、徳川幕府から津山藩18万6千石を賜りました。この森忠政侯が津山藩森家の藩祖です。その時、関家も津山へ移りました。津山藩森家の2代目のお殿様は関家の長男(長継)で、長継侯の子、長治侯は逆に関長政侯の養子となり、作州津山藩の中に1万8千石の領地をもらって大名となりました。森家5代目衆利侯が急死し、跡継ぎが無かったのでお家は断絶。森家は分かれて播州三日月城と播州赤穂城へ移らなければならなくなり、それに伴って関家も津山から新開地の新見へ移封されることになりました。元禄10年のことです。こうして新見藩が誕生したのです。
その後、新見藩関家は明治まで9代続き、現在は第13代末裔の関勝氏は埼玉県におられます。
2015年10月27日(火)美作の歴史を語る会主催の新見研修会があり参加して来ました。
新見市立新見美術館を皮切りに新見市内を散策。新見は津山藩との縁も深い所なのでとても興味深いところでした。その様子を遅ればせながらアップしました。
当日は、新見御殿町まち歩きガイドの会の大西様にガイドいただきました。