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美作しいたけ園のお花たち

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 県道179号線に沿って江見駅から林野方面に行く途中に美作しいたけ園があります。湯郷温泉から車で5分くらいの所です。車で走っていたら、木々の間にピンクや黄色の色とりどりのお花が見えてきたので立ち寄ってみました。美しいグラデーションに感激しました。また、3月なのですがシイタケ狩りやタケノコ狩りができるそうです。そして広場には「現今上陛下の行啓記念碑」もありました。(2018年3月31日撮影)

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JR姫新線 美作江見駅 駅舎

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昭和9(1934)年
 姫新線は、東中国地域を東西に貫いて、新見駅と姫路駅を結ぶ158.1営業キロの鉄道です。当初は、津山駅-姫路駅間を姫津線、津山駅より西を作備線と呼んでいましたが、昭和11(1936)年に姫津線が全通した際、合わせて姫新線とされました。
 美作江見駅は、昭和9年に東津山駅-美作江見駅が開業した際に設置され、昭和61年、旧作東町に譲渡されました。一部に増築や改変されている箇所もありますが、全体構造はほぼ旧状を留めています。
 なお、姫新線で一つ東の美作土居駅は、昭和11年に設置されましたが、これもほぼ建築当初の状況を保っています。(文:『あなたの街の近代化遺産ガイドブック』より)

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JR 津山線 建部駅 駅舎(登録有形文化財)

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 JR津山線建部駅駅舎 明治33(1900)年 (登録有形文化財) 
 中国鉄道(現在のJR津山線)岡山ー津山間が開通したのは明治31年で、県北と県南を結ぶ鉄道としてこれまで重要な役割を果たしてきました。この駅舎は、岡山ー津山間のほぼ真ん中に位置しており、開通の2年後に地元からの要望により建設されました。現在も建設当初の姿をよく残しており、津山線の駅舎として貴重なものです。
 屋根はセメント瓦で葺かれ、壁は下部が板壁、上部は白漆喰塗り、木枠の窓がはめられ、内部も小荷物扱口や窓口カウンターなど古い状態をよく留めています。映画「カンゾー先生」(1998年公開)の撮影にも使用されました。駅舎ホーム側の柱上部に、建設年代を記した小さな標識(建物財産標)が貼り付けてありますので、探してみてください。(文:岡山県文化財保護協会 あなたの街の近代化遺産ガイドブックより抜粋)(2018年3月24日撮影)

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新見御殿町まち歩き【2】

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新見藩の歴史
 このまちは江戸時代元禄10年(1697年)に初代新見藩主関長治侯によってつくられたまちです。新見藩は1万8千石です。元禄時代はすでにお城は造れない時代でしたので、御殿(官邸)を建て、そこで政務を執られました。このことによりこの地区を新見御殿町と言っています。
 関家と森家の本国は美濃です。両家は濃い姻戚関係にあり、共に織田信長に仕えておりました。天正10年、本能寺で織田信長に最後まで従って戦死した森蘭丸、坊丸、力丸の一番末の弟が千丸で、千丸だけが幼くて美濃に残っておりました。その後、千丸(森忠政)は関ヶ原の戦いで功を認められ、徳川幕府から津山藩18万6千石を賜りました。この森忠政侯が津山藩森家の藩祖です。その時、関家も津山へ移りました。津山藩森家の2代目のお殿様は関家の長男(長継)で、長継侯の子、長治侯は逆に関長政侯の養子となり、作州津山藩の中に1万8千石の領地をもらって大名となりました。森家5代目衆利侯が急死し、跡継ぎが無かったのでお家は断絶。森家は分かれて播州三日月城と播州赤穂城へ移らなければならなくなり、それに伴って関家も津山から新開地の新見へ移封されることになりました。元禄10年のことです。こうして新見藩が誕生したのです。
 その後、新見藩関家は明治まで9代続き、現在は第13代末裔の関勝氏は埼玉県におられます。

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新見御殿町まち歩き【1】

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2015年10月27日(火)美作の歴史を語る会主催の新見研修会があり参加して来ました。
 新見市立新見美術館を皮切りに新見市内を散策。新見は津山藩との縁も深い所なのでとても興味深いところでした。その様子を遅ればせながらアップしました。
 当日は、新見御殿町まち歩きガイドの会の大西様にガイドいただきました。

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県立明石公園と明石城

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 明石公園とは、六甲山系の西端、赤松山台地にのこる明石城跡を中心につくられた都市公園です。
城跡は、明治十六年五月、当時の明石郡内の有志によって公園として開園されました。のち皇室御料地に編入されるなどの経過をたどり、大正七年四月、新たに県立公園として発足しました。
園内には多くの樹木や植物が繁茂し、変化にとんだ丘や池、堀は周辺の自然環境と調和して美しく、春は桜、初夏は新緑、秋は紅葉と市街地にありながら野趣ゆたかです。
平成元年七月には「日本の都市公園100選の地」に、平成二年三月には、全国「さくら名所100選の地」に選ばれています。(文:明石公園HPより)(2017年11月26日撮影)

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柵原鉱山で「坑道農業見学会」

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2018年2月4日に柵原鉱山で「坑道農業見学会」があると知って参加して来ました。この日は海外の団体様と一緒に約1時間程坑道内を見学させていただきました。子ども達も参加されていましたが、みんな興味津々で、色々と質問をされていました。


「坑道農業」とは、柵原鉱山の坑道を利用して農業をしておるんじゃ。坑道の中は1年を通じて温度・湿度が変わらず真っ暗な状態。この環境に適した作物をいろいろ考えて柵原の特産品にしようと始めたのが坑道農業なんじゃよ!(文:案内パンフレットより)

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無垢橋(久米南町)登録有形文化財

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 誕生寺は、浄土宗他力念仏門の開祖、法然上人誕生の地であり、建久4(1193)年に法力房蓮生が、師法然上人の命を受けて、生家を寺院に改めたものといわれています。
 無垢橋は、この誕生寺境内を流れる片目川に架かる、長さ約7mの珍しい石造方丈橋です。橋の形状は、擬宝珠の付いた柄柱、丸く加工された高欄をはじめとして、木橋の材料をそっくり石に置き換えたように造られています。特に、桁の上に載せられたように見える丸太状の石は、高欄から外側のみの長さしかなく、明らかな装飾です。久米郡久米南町里方 (文:岡山県文化財保護協会発行『あなたの街の近代化遺産ガイドブック』より)

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誕生寺橋(久米南町)

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 誕生寺は、浄土宗他力念仏門の開祖、法然上人誕生の地であり、建久4(1193)年に法力房蓮生が、師法然上人の命を受けて、生家を寺院に改めたものといわれています。
 片目川の少し下流に架かる誕生寺橋は、橋長7mの小さな鉄筋コンクリート橋です。親柱上部の擬宝珠風の玉や、やや波打った高欄など、装飾的な橋に造られており、ユニークな存在です。(文:岡山県文化財保護協会発行『あなたの街の近代化遺産ガイドブック』より)(2017年9月15日撮影)

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