大蔵池南製鉄遺跡(神代)

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 大蔵池南製鉄遺跡は道路建設に伴う発掘調査により発見されました。調査の結果、7層の作業面とその作業面に伴う製鉄炉安登を6基検出しました。この製鉄遺跡の時期は、一緒に出土した遺物により古墳時代後期(6世紀後半~7世紀初頭)と推定されます。
 製鉄遺跡は尾根の南斜面を削り取って、巾約5m、長さ約7~8mの平坦面を造っています。この平坦面は作業面で、製鉄炉を築造し、燃料置場、原料置場、さらに鉄滓を廃棄する場所等がありました。製鉄炉はスサ入粘土で巾50~60cm、長さ約100~120cm、四方の箱型に造られており、炉の長辺の両側にはテラス状の作業台が付いています。
 炉壁には直径3cmの通風孔が穿たれており、製鉄作業の燃料には木炭、原料には砂鉄を用いて、人工的に送風しながら製鉄を行っていたと考えられます。
 検出した1・4・5・6・7炉跡と、その下層の遺構は遺跡の重要性を考慮して埋土により保存されています。
 この遺跡の所在する糘山地区には鉄滓を副葬した古墳や鉄穴流し遺構(砂鉄採取の跡)があり、古代から鉄と深く結びついた地域であることがわかります。
久米開発 文化財調査委員会(解説板より)(2016年2月16日撮影)

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久米カントリー入り口

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糘山の史跡の地図

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ここが大蔵池南製鉄遺跡です。

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                         ↑ 2009年8月1日撮影


製鉄遺跡
このあたり県道から分かれて東進する道路がある。此の道路は三菱二社の開発地区に通ずる三菱二社の
施設道路である。
 製鉄炉跡は此の道路を建設する為に行われた事前の発掘調査によって発見されたもので、その位置は、県道の分岐点から見て、東方、坂道にとりかかるところである。
 この製鉄炉は六世紀末から七世紀初のもので現在(昭和56年)で日本最古の製鉄跡とされている。(久米町史より)