平成30年度 津山洋学資料館夏季企画展
平成30年度 津山洋学資料館夏季企画展「洋書が伝えた不思議な生き物」と題して2018年7月7日~9月24日まで津山洋学資料館企画展示室で行われています。
世界には不思議がいっぱい!
江戸時代、オランダや中国からもたらされた本や絵画、地図などには、さまざまな世界の生き物が描かれていました。その姿は誇張されていたり、時には、今では存在しない、とされているものであったり...。
不思議な動物たちの姿は、人々を驚かせ、魅了したのでした。
中国で刊行された世界地図 坤輿全図(複製)屏風
南懐仁(F.フェルビースト)1674年
イエズス会の宣教師フェルビーストが中国へ渡り、布教活動のかたわら刊行した世界地図。大陸と海洋部分には、珍しい動物や海獣が描かれています。こうした宣教師たちが中国で刊行した世界地図や地理書は、のちに日本へも伝わって影響を与えました。
一角獣のような動物が描かれています。
鯨やキリンらしき動物が描かれています。
『六物新志』大槻玄沢 訳考 1786(天明6)年序 『一角纂考』木村遜斎 著 1795(寛政7)年刊
洋書が伝えた動物たち
西洋の学問を研究する洋学者たちは、オランダ語の書物(洋書)を読み、そこに描かれた生き物が、どんな特徴を持つか、そして日本にも存在するかどうかを調べました。おもに、薬の原料となる動物について知るためでした。
そして、その研究成果を本にまとめて出版しました。洋学者たちの本を通じて、洋書を直接見ることのできない人々にも、知識が伝わっていきました。
「宇田川榕菴蔵張込帖」江戸後期 昆虫・鳥「宇田川榕菴蔵張込帖」
榕菴の「動学」研究
津山藩の洋学者 宇田川榕菴は、日本で最初の植物学書を刊行したことで知られていますが、実は植物だけでなく、動物についても研究しています。
30歳の時、日本で初めて昆虫学についての翻訳原稿を書き、38歳で植物学の『植学啓原』に対照した、動物学の「動学啓原」を著しました。
榕菴が写した原稿や、収集した資料に中には、ウマやカバ、鳥、昆虫などの絵を見ることができます。
「駱駝図」江戸後期 「天竺渡大象之図」
江戸時代にもアザラシは人気 トカゲ・ヤモリ『物類品隲』巻4,5
海豹(アザラシ)江戸時代後期 (魯西亜人之図)
アイヌの人々の、アザラシ猟の方法を紹介しています。江戸時代にもアザラシが迷い込むことがあり、1833(天保4)年には、名古屋の熱田沖干拓地にアザラシが迷い込んで捕獲されています。芸を覚えて人気者になったといいます。
海を越えたきた動物たち
オランダ船や中国船は、本だけでなく、標本や毛皮、そして生きた動物たちも運んできました。
出島では、食用のブタやウシ、オランダ商館員のペットのイヌやネコも飼われていました。幕府への献上品や、諸藩の大名の注文で、ゾウやラクダ、オランウータン、クジャクやヒクイドリ、オウムなどの珍しい動物も輸入されました。
幕末に開港すると、さらに多くの動物が海を越えてきました。
展示風景 『物類品隲』平賀国倫 編 1763(宝暦13)年刊
本草学から博物学、動物学へ 『魚介譜』鍬形蕙斎筆1802(享和2)年刊
①本草学の発展
動物についての研究は、古くから本草学の中で行われてきました。本草学は、薬の原料となる植物や動物、鉱物を研究する、中国で生まれた学問です。
江戸時代の初め頃、明(中国)で書かれた『本草綱目』が伝来し、本草学の教科書として学ばれましたが、やがて日本でも独自の研究がはじまり、1709(宝永6)年には、儒学者の貝原益軒が『大和本草』を刊行しました。
日本産の動物、植物、鉱物への関心が高まり、それらを集めた展覧会「薬品会」も開かれました。
②博物学の興隆
18世紀の中頃、8代将軍 徳川吉宗が全国の産物を調査させたことをきっかけに、各地で薬になるものだけでなく、植物や動物、鉱物全般への関心が高まり、博物学が発展を始めます。
こうした自然物の特徴をより正確に伝えるため、対象を科学的な視点で観察し、見た通りに描いた博物図譜も発達しました。
津山藩の絵師 鍬形蕙斎が著した『魚貝譜』は、もとは絵俳書として刊行されたものですが、魚や貝が写実的に描かれていて、博物図の発展が窺えます。
③西洋の動物学の導入
西洋から伝来した博物学書や、シーボルトら出島を訪れた学者たちの影響も受けながら、19世紀頃には日本の博物学研究は大変な発展をみせます。
明治になると、さらに西洋からの学問の導入が進み、博物学は植物学、動物学、鉱物学へと細分化していきました。
1877(明治10)年、東京大学が創立すると、理学部に動物学教室がもうけられました。外国人教師のモース、ホイットマンに次いで、箕作阮甫の孫の佳吉が、日本人初の動物学教授に就任しています。
(文:津山洋学資料館展示パネルより転載)(2018年7月19日撮影)