美作の世直し一揆(加茂)

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 幕府の力が弱まり、世の中が不安になると、全国各地で100近くの一揆が起きています。藩の政治を改めることを要求したこの一揆を美作では改政一揆と呼んでいます。
 1866年11月24日の夜、行重村(加茂町)の真福寺の鐘を合図に、美作中に広がる一揆が起こりました。この一揆は、最初は行重村の直吉たち、10人ほどの農民が起こしたものでした。それがたちまち藩の政治に不満をもち、世直しを求めていた民衆の間に広がり、次の日に城下におしよせた一揆勢は、米屋や、藩と結びついた商人の家をおそいました。
 この年は大雨と冷害・台風などのため大凶作で、幕府の命令による二度目の長州出兵もあり、人夫の負担、物価の値上がりなどで、年貢の納期が近づくにつれ、農民の不満が高まっていました。
 ・今年の年貢を引き下げてほしい。
 ・年貢米を検査する役人の不正をやめさせてほしい。
 ・長州(山口県)への出兵に、人夫をかり出さないようにしてほしい。

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 林野・久世など美作各地に広がった一揆に対して、藩は鉄砲をうち、農民数名を殺傷しましたが、力ではどうにもしずめられず、いくつかの要求を認めたうえ、三万三千俵あまり救済米を出して、やっとおさめることができました。
 直吉たちは捕らえられましたが、幕府の混乱で藩は処罰することができず、明治になると全員がしゃく放されました。(文:津山市教育委員会発行『わたしたちの津山の歴史』より)(2019年1月13日撮影)

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真福寺境内