修験者の堂・圓満寺

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修験者の堂・円万寺 毎年8月祈祷祭続く
 勝北町坂上の国道五三号線から、北側にわずか入ったところに、カリンの大木が聳える堂が見える。土地の人からは行者堂または円満寺(円万寺)と呼ばれ、かっては苫勝霊場三六番の札所であり、数年前に改築が行われよく整備されている。この寺について「勝加茂史」には、真言宗醍醐派三宝院の末寺円万寺花王院、元禄十一年(一六九八)あるいは天明二年(一七八二)の創立ともいわれ、本尊は如意輪観音と載せられている。
 せんねんの町文化財保護委員会の調査では、木造の役行者像や数体の仏像と鋳鉄製の高さ十二cmあまりの如意輪観世音菩薩像一体があった。この観音の台座には、施主流郷重郎右衛門・全吉左衛門・全株内、冶工作陽柱百済清治郎藤原正邦作の銘があり、施主名などから江戸時代末期ごろの作品と思われる。

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 堂の前庭には「嚢祖神変大菩薩碑」があり「大峯八大金叶童子」「次熊山円万寺恵海誌」「安政三年丙辰秋八月、碑伝世話人安井中分平田善左衛門、平田□□□」と刻銘、この碑などから寺の住職は、修験者の行者が当たっていたことが窺われる。
 本堂では、毎年八月十八日に「十八山」と呼ばれている御祈祷が長い年月絶えることなく続けられている。始められた由来や年代について、古老に聞いたが詳かでない。当日は地区の戸毎から参集し、経を唱えて祈祷したあと、酒食を共にすることになっている。
 坂上のむらは、百年あまりの長きにわたり無火災であるという。これもこの御祈祷のおかげであると村人たちは語っている。

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 また、明治初め本寺の住職であった湯浅実顕は、ここに塾を開設し、近郷の子供たちに読み・書きなどを教授したといわれ、教えを受けた門人中が、のちに相謀って建立した「湯浅実顕師碑」が堂の南にあって当時をしのばせる。

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圓満寺のお堂(文:『勝北版マイタウン かつた記録集』より)(写真:2019年2月24日)