弘法大師碑(久米南方中)
「大正3年、旧久米村・倭文村・多い東村中で、高祖弘法大師を深く信仰する人が集まって、弘法大師碑を建立してお祀りをしょうと協議し、前述の村人に勧進帳を作り協力を呼び掛けた。地域の人約300余人の協力があり、180円余りの大金が集まった。(当時100円でで一軒家が建つといわれた。)
そして、昭和2年に建立された」と地元の實成さんが、「私のおじいちゃんが、青年の時で、この仕事の下働きをしていた。」と話してくれた。碑には、「再興大正3年春 昭和2年建立」とある。久米・苫田郡八十八か所霊場の一つである。(文:「出雲街道(Ⅱ)を歩こう会(第6区)」)
国道53号線沿いにあります。 梅の木が数本ありその奥にあります。
横からみた碑 正面からみた碑
この道は旧出雲街道です。(2020年11月23日撮影)
久米苫田八十八カ所霊場
この組は今の久米町の北部と苫田郡では今の苫田郡のうち、昔の郷村から中谷村にわたる地域内で参拝箇所をせん定されているものである。
(雫山麓の碑)
国道181号線が東から千代に入るところ、つ雫山麓を通る所、国道と雫山の麓とのせまい所に立派な基壇が設けられて、自然石に「高祖弘法大師」と刻まれた碑が建っている。
此の碑の刻字を見ると、久米苫田八十八ヶ所 再興大正3年春 昭和2年秋建之 とある外 発起者、林静馬・松尾柳平、会計、薮木宇太郎、記念碑発案者、高本忠吉、大世話人、中尾孫四郎・甲本元四郎・岡助松、世話人、(氏名省略)、今の久米町では大井東村、39人、大井西村24人、大倭村28人、久米村21人、今の鏡野町では郷村21人、中谷村3人、其の他5人となっている。(文:『久米町誌』より)