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天台宗 弘誓山 観音寺(勝央町)

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 比叡山延暦寺を本山とする当寺は、千百余年の歴史をもち、行基菩薩(ぎょうきぼさつ)の御作、聖観世音菩薩を御本尊として安置していますところから、弘誓山 観音寺といいます。
《寺暦》
 平安時代の天安年間(857~859)、比叡山第三祖慈覚大師(じかくだいし)によって、間山に(高福寺の一院としての説がある)創建された。その後(年代不詳、間山では火災説がある)、田井観音免(地名)に移転したが、天文十三年(1544)大洪水に遭い、御本尊以外の宝物・古文書等を流失し、建物は廃頽した。このため草創以来七百有余年の盛衰については詳らかではないが、田園化した田井寺跡は現在「観音面」の地名で残っている。(文:天台宗 弘誓山 観音寺の案内から抜粋)(2023年11月29日撮影)

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三日月藩租「森長俊の人となり」

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 三日月藩祖森長俊が生まれたのは慶安二年(1649)年九月八日で、津山藩二代藩主森内記長継の第八子(五男)として、作州鶴山城中で誕生しました。


 三日月藩祖の森長俊は非常に人情に厚かった人で、外寛内勇、諸侯の中でも特にすぐれた人材でした。
 長俊は、兄の伯耆守長武によって藩主になることができたので、生涯その恩を忘れず、長俊の邸は目白にありましたが、たびたび長武の関口邸をたづね慰問しました。長武には多くの弟があったが、長武が鉄山と号して関口邸に隠居してからは、皆疎遠になりました。しかし長俊だけはそうでなかったので、長武はその心をほめ、「自分がもしもっと早くに、長俊のこの気持ちを知っていたら五万石を与えたであろうに、惜しいことである」といったといわれています。
 父の内記長継は、隠居してから後、竜口邸から芝邸に移って夫人と同居し、長継の死後、夫人は長清院と名のりました。この人は、長俊には義母にあたります。しかし夫人が長俊を愛すること実子のようで、長俊もたびたび訪れて夫人を崇敬し、夫人は珍しいよい品物があると長俊に与え、夫人に事があるときは、子は多かったが、いつも長俊を特に呼んで相談し、長俊はその芝邸で住居しました。

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黒崎の菜の花畑と菜の花摘み

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 2024年1月22日、所用で佐用町役場まで行き、帰りは少し遠回りでしたが、「1月中旬から菜の花が開花する広大な菜の花畑があり、早春を満喫できる。」との情報を得て、兵庫県たつの市御津町黒崎にある、綾部山梅林の裾野に行ってみることにしました。到着すると、畑一面に黄色い菜の花畑が見えてきました。のぼりと黄色いポストがある畑では、「100円で備え付けの黄色いビニール袋に菜の花を収穫できる。」と書いてあり、早速収穫させていただきました。また、ほかの畑では、楽しい案山子が多数設置され、家族連れが案山子と戯れていました。帰ってから菜の花のお浸しをして美味しくいただきました。後ろの山に梅が咲くころはさぞ綺麗でしょうね。

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三日月藩乃井野陣屋表門(佐用町)

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 三日月藩は元禄10年(1697)、津山藩森家の改易に伴い、初代森長俊が佐用・揖保・宍粟郡の内15,000石の領地を拝領し、乃井野に陣屋を構えたことに始まり、明治4年(1871)の廃藩置県まで、9代175年間続きました。
 乃井野には郭内と呼ばれる家臣たちの居住地が広がり、城郭でいう本丸、二の丸、三の丸に相当する多重の構造を持っています。そして、今もその町割が良く残っています。複数の門の内、表門は、お城の大手門にあたる重要な門で、初期には、惣門と呼ばれました。約70年後(1773)に再建されたのが現在の表門で、脇には番所があり、通行者は厳しく監視されました。
 明治9年(1876)、陣屋の土地建物群は払下げられ、(「縣廳乙號布達綴」)、表門は西法寺(現・たつの市新宮町鍛冶屋)に移築されたようです。これを、平成28年に町へ寄附を受け、平成29年度に現位置近くに移築復元を行いました。
 2度の移築を経て故地へ戻ってきたこの門は、物見櫓とともに2棟しかない三日月藩の現存建築物です。(文:現地説明版より転載)(2023年5月18日撮影)

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パワースポット「高岡神社」(真庭市)

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 2024年1月8日、真庭市にある高岡神社の御神木に龍が現れ話題になっているから行こうと誘われ、真庭市上中津井にある「高岡神社」まで行ってきました。なんでも、下から見上げると、天を目指す昇り龍のように見え、「縁起が良い」と参拝者が増えているそうです。
 津山から約1時間ほどで神社に着くと、大勢の人が参道前の杉に現れた龍に携帯をかざしておられました。この御神木の「龍」は台風で折れた杉の枝が、龍のひげや角の様に見えることからパワースポットだと評判になったそうです。なんと、この御神木の裏側で、来年の干支巳の「白蛇」も拝めることができました。(山田方谷ゆかりの地でもあります。

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出雲大社と古代出雲歴史博物館を訪ねる

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 新年早々に能登地震に羽田空港の事故など悲しい事件が立て続けにあり、重苦しいお正月になりました。被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
 2024年1月3日、友に誘われて出雲大社に参拝、そして古代出雲歴史博物館を訪ねてきました。
お昼前に津山を出発、大山に着くころから雨が降り出し、出雲大社に着いた時にはどしゃ降りでしたが、本殿にお参りするころは小雨になり、滞りなく参拝を終えました。
 その後、島根県立古代出雲博物館を訪ねてきました。お正月三が日は無料!全館撮影OK!、しかも国宝の本物が見えるとのことでラッキーでした。島根は何度も訪ねたお隣の県ですが、まだまだ知っているようで知らないことがいっぱいです。今度は古代出雲歴史博物館をゆっくりと拝見したいと思える素敵な場所でした。

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蒜山の正月飾り・おせち

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蒜山の正月飾り
 蒜山地域の正月飾りは大変豪華である。近年、簡略化されたものが多くなった。なぜここまで豪華にするのか。長く厳しい冬を越え、早く春の芽吹きを迎えて、新しい生産活動を始めようとする人々の強い期待がそこに表れている。俵の上には鏡餅。背後には「歳徳神」を祀る。周囲には餅花を飾り、いかにも春が到来したかのような演出。正面上部にはフグリと呼ばれる飾り。男性器を象徴したもので、子孫繁栄を示す。スダレと呼ばれる12枚の板は、12ヶ月を指す。旧暦の時代、閏月がある年には13枚を掲げた。年桶は岡山県北で広く見られるもので、この中に供え物などを入れる。来るべき春への強い思い、五穀豊穣や子孫繁栄といった祈りを細部にまで凝縮させているのが、蒜山の正月飾りの特徴である。(文:蒜山郷土博物館説明文より転載)(2023年9月7日撮影)

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姫路城世界遺産登録30周年記念「お城EXPO in 姫路」

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 2023年9月16日・17日・18日とアクリエひめじに於いて「姫路城世界遺産登録30周年記念事業 特別版 お城EXPOin 姫路」があり18日の最終日に行ってまいりました。
 1Fでは、姫路城の保存修理の歴史や昭和の大修理の時に交換された部材など貴重な資料が展示してあり沢山の人が熱心に魅入っていました。すぐ横には、お城EXPOフォトスポットがあり、甲冑を着せてもらってポーズをとる子どもや御城印を買う人、熱心にブースを見て回る人等々で会場内は賑わっていました。また、大甲冑展があり姫路城ゆかりの黒田官兵衛の甲冑をはじめ、織田信長、徳川家康などの甲冑21体(複製)が展示してあり迫力満点でした。

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懐かしのライフスタイル「民具から学ぶ生活の知恵」

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 2023年9月7日、真庭市蒜山郷土博物館で「懐かしのライフスタイル~民具から学ぶ生活の知恵~」を拝見してきました。昔の民具にはなぜか心惹かれるものがあります。雪深い地域での人々の知恵や、実用的な機能を備えた上に、その美しさは勿論のこと、SDGs(私たちみんなが、ひとつしかないこの地球で暮らし続けられる「持続可能な世界」を実現)な民具だと思います。
今一度多くの人にも見ていただきたいものばかりでした。

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天空のひまわり(美作市)

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 2023年8月18日に岡山県美作市竹田にある「天空のひまわり畑」で写真を撮ってきました。
ここは、無農薬無化学肥料により野菜栽培に取り組む農家が中心となり、約3ヘクタールの畑に30万本のひまわりが植えられたそうです。この規模の大きさを実際に見てみたいと思い美作市へ。少し道が狭い所もありましたが、道案内で無事にたどり着くことができました。一般の畑ではすでに枯れてしまっているひまわりですが、天空のひまわり畑では赤や黄色のひまわりが満開で癒されました。春には菜の花が咲くそうです。また、春には満開の菜の花と出会えるのを楽しみにしています。

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