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出雲街道・坪井宿

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出雲街道・坪井宿(江戸前期~)
 坪井宿は江戸期の宿場町であり、津山から西へ約14㌔のところにある。現在は国道がこの町の北側を迂回しており、宿場町の面影を残す住宅地となっている。
 大正末期ごろまでは、宿場町の中央には水路が引き込まれ、それに沿って柳などを植えた並木があり、西から東に流れる水路の両側にはそれぞれ幅約2間(約3.6㍍)の道があった。北側の道は出雲街道で旅籠などが並び、旅人などが通る道で、南側の道は里道といい、村人の利用する道であった。まち並みのつくりが麦飯の粒の形に似ていることから麦飯町とも呼ばれていた。中央に水路のある宿場町の定形であった。現在、水路は道路の南端に移され、並木もなくなったが、明治・大正期の木造厨子2階建てや、2階建て瓦葺きの民家が並んでいる。漆喰塗壁、腰板張り、虫籠窓、格子窓、出格子、ナマコ壁、防火用袖壁もかなり残っており、宿場町の風情が感じられる。町の中央近くには、陣屋跡や石造りの常夜灯がある。

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 歴史的にみると、この地は大和地方と出雲地方を結ぶ交通の要所であったが、宿場町が形成されのは、1603(慶長8)年に森氏が入府し、出雲街道の道 路や宿場などの整備をして後のことである。1697(元禄10)年森藩廃絶の後、一時幕府領となり、宿場内に代官所が置かれた。その後1702(元禄 15)年に内藤氏(上野国安中城主、のち三河国挙母藩)の所領となり内藤氏の陣屋も置かれていた。そのため宿場町としてだけでなく、この地区での政治や経 済の中心地として栄えたが、高瀬舟による川運の発展や、鉄道や高速道路の整備による、出雲街道の役割の低下とともに往時の賑わいは失われた。
 1995(平成7)年には坪井宿跡整備事業により、案内板などが設置され宿場町としての評価の見直しもみられるがが、多くの建物が住宅で、かつての旅籠などの建物も老朽化しており、宿場町としての景観をどのようなかたちで維持できるか今後の課題である。(文:日本建築学会中国支部中国地方まち並み研究会編著中国新聞社より)(2015年6月8日・2016年1月10日撮影)

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安東家の蔵

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安東家屋敷跡

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出雲街道・坪井宿の案内板

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かすかに残る坪井宿の風景

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今も残る南北の小路